「産後復帰できることが、アスリートの当たり前になってほしい」元なでしこ・宮本ともみ
<トップ写真撮影:2017年10月>
宮本ともみさんは、1999年・2003年・07年とFIFA女子W杯へ3連続出場、04年のアテネ五輪にも出場した元サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)です。現在は日本サッカー協会で、なでしこジャパン兼U-20日本女子代表コーチを務めています。
宮本さんのキャリアで印象的なのは、04年アテネ五輪翌年の05年5月に出産を経験したこと。さらに、そこからトップレベルへの競技復帰を果たしたことです。現在よりもアスリートが産後復帰したケースが少ない中、彼女はどのように育児と競技の両立を果たしたのでしょうか。出産から復帰までの葛藤、そこで得た経験について伺いました。
「当初は、復帰を諦めていたんです」
ー宮本さんは選手としてキャリアのピークを迎えつつあった05年5月に出産を経験されました。一度競技を離れることに、不安はなかったのでしょうか?
もちろんありました。自分としてもパフォーマンスが良い感覚はあったので、「競技から離れてしまうのはもったいないのでは」という気持ちがありました。一方、「オリンピックをひとつの区切りに、そろそろ妊娠して出産がしたい」とも思っていたんです。そんなことを考えていたタイミングで、幸運にも授かることができました。
良い状態だったからこそ、当初から復帰したい気持ちがありました。実は遠征先で見てきた子連れの海外選手の姿が、復帰を視野に入れた最初のきっかけです。アメリカ代表の選手がホテルでベビーカーを押していたり、ノルウェーの選手の旦那さんが子供と一緒に練習を見ていたり。素直に、かっこいいなと憧れている部分がありました。
ー出産前から復帰を視野に入れていたと。復帰に向けて、どのように情報収集をしていたのですか?
ネットで「妊婦 トレーニング」などと検索をかけて調べました。ただ、一般の方が取り組むようなマタニティヨガやスイミング方法などは見つかりましたが、「トップアスリートがやるべきこと」は本当に情報がなかったです。
産婦人科の先生から「体重管理はしっかりするように」と言われてはいましたが、先生方も、トップアスリートの指導は専門分野ではありません。同じようにトレーナーの方も、出産に関しては詳しくありません。分野それぞれによってスペシャリストの方に見ていただくという感じだったので、出産と競技の両方の知識を兼ね備えた方に相談したいとは思っていました。
現在は、海外を中心に産後復帰の例が増えてきたと感じています。妊娠中からトレーニングを重ね、積極的に発信するアスリートが増えてきました。例えば米サッカー女子代表のアレックス・モーガン選手がお腹の大きい状態でトレーニングしていたり、マラソン選手が臨月ギリギリまで走っていたり。
産後復帰におけるアスリートの身体に関する知識も蓄積されつつあり、前例があることで「私も挑戦してみよう」と思える環境になってきていると思います。日本女子サッカー界では、岩清水梓選手が産後復帰されましたよね。
Aside from my 🙈 passing, being 7 months pregs hasn’t slowed me down too much! https://t.co/GeRgH4yaVb
— Alex Morgan (@alexmorgan13) February 4, 2020
ー情報もあまりない中で、どのようにトレーニングを進めていったのですか?
実は、出産してから3ヶ月くらいは復帰を諦めていたんです。怪我で数週間サッカーから離れたことはあっても、ここまでの長期間は初めて。「もう戻れるわけがない、これだけ休んだら無理」と何度も思いました。
そんな中、たまたま日本代表(なでしこジャパン)のキャンプがあったので選手たちに会いに行きました。トレーニングしている様子を見たり、彼女たちと話しているうちに「もう一度サッカーがやりたい」と思ったんです。
悩むこと自体にも疲れていたので、「諦めるくらいならやってみよう」「やってみて無理だったときに引退すれば良い」と考えました。
1日30分のトレーニングが、育児に向き合うチカラをくれた
ー再び「復帰に向けて挑戦してみよう」と、まずはどういったことから始められたのでしょうか?
本格的にトレーニングを始めたのは、出産から半年後です。10分間のジョギングから始め、徐々に時間を伸ばしていきました。ジョギングと言っても、「歩いた方が早いのでは」と思うくらいのスピードで。それでもきつかったですが、少しずつ成長している実感があったので続けられました。
トレーニングを始めると、意外な気づきもありました。一人の時間を上手く作ることができたんです。育児ノイローゼになる人の気持ちがわかるくらい、育児は思い通りにいかないことばかり。その中でトレーニングの30分間は、完全に一人だけの時間でした。
少しだけ子供と離れて自分と向き合う時間ができ、精神的にちょうど良いバランスでした。しっかり子育てに向き合えたのも、サッカーがあったからこそだと思います。
ートレーニングが、良いリフレッシュになっていたのですね。
はい。トレーニングは短い時間しか取れませんでしたが、限られた時間で集中することができました。トレーニングの時間は選手、終わったら母親。切り替えが上手くできるようになりましたし、集中力が高まったと感じました。
出産前と比べると、圧倒的に練習量は少なかったです。それでもパフォーマンスは上がっていると感じられたので、出産を経てより効率良く集中して練習できているという実感がありましたね。
他にも競技面でいうと「いち選手として評価されたい」とより一層思うようになりました。子供を連れて代表のキャンプに参加させていただいたり、日本サッカー協会のサポートをたくさん受けてきました。その分、「自分の選手としての価値をアピールしなければいけない」という気持ちが大きかったです。
あとは「産後復帰した宮本」「母親」として上乗せした見方で見られるのが嫌で。母親の自分とは切り離して、選手として評価してもらえるようにしたい、と。
ー一方で、「もっとこうしていれば良かった」と思うことはありますか?
チーム復帰の2ヶ月後に、恥骨の疲労骨折をしました。サッカーでは内転筋(骨盤から大腿筋に付着している筋肉)という腿の筋肉をよく使います。恥骨と結合している内転筋を引っ張りすぎた結果、普通なら肉離れや炎症を引き起こすところを、骨折してしまいました。骨の方がもろくなっていたんですね。
担当医には、「母乳をあげながらのトレーニングだから、カルシウムが不足しているのでは」と言われました。知っていればカルシウムを積極的に摂るようにしていましたし、産後のトレーニングには大事だと伝えたいです。
産後復帰が「当たり前にある選択肢の一つ」になってほしい
ー冒頭「母親としての海外選手の姿に影響を受けた」という話もありましたが、産後復帰に対する考え方は日本人選手と比べて差があると感じてきましたか?
産後復帰後に、今と同じ自分のポジションや居場所が確かにあるのかどうか。選手に限らず社会で活躍する女性が皆悩むところです。
出産する年齢では、仕事におけるパフォーマンスが絶好調という方も多いですよね。ものすごく覚悟がいる決断なのに、日本では「出産のために仕事を休むの?」というような雰囲気はあると思います。単純に、子供ができることは社会にとっても良いことですし、より広い視野で見てもらえると嬉しいです。
仕事や競技から離れることは、怖いです。ただこれまでお話してきたようにメリットも多いので、経験者として良いところをもっと伝えていきたいと思います。
ー海外の方が、産後復帰を支援する制度や環境も整っていますよね。
そうですね。「産後復帰」という選択肢が、当たり前にあるように感じます。日本だと、まだ「産後復帰は特別」といったイメージがあるのではないかと。
ー育児と競技との両立で困ったことや、「もっとこういう環境があれば」と思ったことはありましたか?
特に、遠征先での子供の預け先は困りましたね。私と夫の実家がある関東と関西以外の地方では、競技場近くで都度ベビーシッターを探していました。
競技場に預かってもらえるスペースがあれば良いのですが、なければ場所も確保しなければなりません。この手配を全て一人でやっていたので、大変でした。託児所があるスタジアムは需要があると思います。選手に限らず、観客の方々も観戦の際に預けられたら楽で良いですよね。
あとは、同じように産後復帰を目指すアスリートのコミュニティがあって情報交換をしたかったです。同じ悩みを持った人がいると知るだけでも安心します。産後復帰に関する“情報をとれる場所”があったら良かったと思いますね。人によって環境も身体の状態も異なるので、自分に合った情報を取捨選択できればやりやすいのではないかと思います。
ー最後に、今後出産というライフステージを迎える女性に対して、どんなことを伝えたいですか?
価値観は人それぞれですし、正解はありません。産後復帰を目指すもよし、引退するもよしだと思います。ただ、もし出産後も競技を続けたいと思うなら、ぜひチャレンジしていただきたいです。やらないうちにやめるより、一度やってみて欲しいと思いますね。