摂食障害の私から、トライアスロンコーチへ。元競泳・中村美穂「人生にスポーツは必要」
二度のインターハイ優勝、ジュニアオリンピック優勝、国体準優勝などと学生時代に輝かしい成績を残した元競泳選手の中村美穂(なかむら・みほ)さん。大学卒業後は一般企業へ就職したものの、競技一筋の生活から環境の変化に対応しきれず、摂食障害を経験したそうです。
そんな中東日本大震災を通じて自身の身体の状態では「誰も守れない」無力さを感じ、再びプールへ足を運び始めました。スポーツが人生に与える影響を再認識し、「スポーツを通じて、私のように悩んでいる人を救いたい」と思うようになったそうです。
現在は、トライアスロンの選手でありながら、日本で数人の女性トライアスロンコーチとして活動されています。スポーツに改めて関わりたいと思った経緯やトライアスロンとの出会い、スポーツへの思いを伺いました。
「やっぱりスポーツは私の人生に必要」
ー大学卒業後は、競技をやめて一般企業へ就職されました。その経緯をお聞かせください。
小学校1年生から大学4年生まで、競泳を続けていました。卒業後にやめる決断をしたのは、これ以上世界の舞台で戦っていけないと感じたからです。大学2年の頃には、引退後は新しい道に進もうと決めていました。
一般の学生と同じように就職活動をして内定をいただきました。迷うことなく会社員として歩み始めました。
でも新生活が始まると、アスリートの心のまま社会人になった私は、理想と現実の狭間で社会人としての生活と環境の変化に身体がついてこなくて。摂食障害を発症しました。
味覚がなくなるところから始まって、徐々に固形物が一切喉を通らなくなってしまいました。社会人2年目の時点で体重は30kg。身長が170cmあるので、かなり見た目も病的でした。
ーそこから、再びスポーツの世界へ。きっかけがあったのでしょうか?
転機になったのは、東日本大震災です。揺れた瞬間、隣にいた妊娠中の同僚を守るために反射的に動こうとしたんです。でも体重30kgしかない私は、覆い被さることしかできなくて。自分の弱さを実感するとともに、「誰のことも守れないんだ」と孤独感に見舞われました。
「どうにかして変わりたい」と思い、足を運んだ先がプールでした。骨と皮しかない状態が恥ずかしくて、ラッシュガードを全身にまとって入ったのを覚えています。当然泳ぐことはできないので、一番端にあるウォーキングコースを歩いてみることにしました。すると塩素の匂いに「おかえり」と言われたようで、涙が止まらなかったんです。懐かしさと、水の中が自分の居場所だというような感覚を思い出しました。そこからプールへ通い始めて、徐々に体重も戻っていきました。
摂食障害の症状が改善され、少しずつ固形物も食べられるようになっていくのが嬉しかったです。やっぱりスポーツは私の人生に必要なものだなと。スポーツを通じてなら、誰かの人生を豊かにしたり、私のように悩んでいる人を救えるのではないかと思いました。この体験と思いが、脱サラして新たな人生を歩み始めたきっかけです。
過去の自分と比べず、新たな気持ちで。トライアスロンとの出会い
ートライアスロンとの出会いについて教えてください。
競泳の指導者になろうと思って第二の人生をスタートしたものの、収入が良く安定していたサラリーマン時代とは変わり、コーチ業だけで生計を立てることはできなかったです。子供向けのプライベートレッスンをしながら、アスリート向けのメニューを展開しているカフェでアルバイトをしていました。
そのカフェのオーナーがトライアスロンをしていた関係で、後に私のトライアスロンコーチとしての師匠となる山本淳一さん(元アジア選手権チャンピオン)と出会いました。山本さんが指導していたトライアスロンスクールでアシスタントコーチが足りないとお声がけいただき、スイム指導を受け持つことになったんです。
トライアスロンのスイムは競泳とは全然違って、海でウエットスーツを着て泳ぎますし、その後にはランとバイクが待っています。競泳と同じように教えても意味がないので、「私も経験してみよう」と思ったのが始まりです。
ー初めてやってみた時、どのように感じられましたか?
新たな挑戦をすることが楽しくて、とても新鮮でした。過去の自分と比べる必要がなくて、楽な気持ちで取り組めたのが大きかったです。精神的にも楽にスタートできました。
実は自転車に乗れなくて…本当に0からのスタートだったんです(笑)。もともとスイムも短距離の選手だったので、長い距離を泳ぐトライアスロンとは全く別物。競泳時代の感覚が体に染み付いていて、昔の良い感覚を忘れるのに時間がかかりました。泳ぐ楽しさを再確認するとともに、大自然の海で泳ぐのが新鮮で、もう四角いプールには戻れないと思いましたね。
運動ができる喜びと解放感
ートライアスロンを始める中で、ほぼ運動をしていない状態から身体を作っていく難しさもあったと思います。
体力は全くなかったですし、まだまだ細かったので、できるトレーニングもかなり限られていました。体重移動が重要なバイクやスイムは、圧倒的に力不足でした。
それでも苦しみ続けた自分からの解放を感じていたので、しんどいと感じることはなかったです。トレーニングがきつくても、体力がなくても、今後自分がどう変わっていくのかが楽しみだったんです。
ーデビュー戦となったトライアスロンのレースで優勝されたことも、モチベーションに繋がったのではないでしょうか?
そうですね。そこからトライアスリートとして、本格的にコーチ業と並行してトレーニングを開始することにしました。
慣れないランやバイクへの時間を多く割き、競技歴の長い選手に追いつけるようにしました。これまでとは違う身体の使い方を習得するのが大変でしたね。競泳のように前ももとふくらはぎを使ってバイクを漕ぐと、次のランで走れなくなるんです。いかにお尻から力を入れるのかを練習しました。
ランは、月間走行距離500kmを目標として脚力を強化しました。毎日10km走っても月間300kmくらいです。そう思うとかなり追い込んでいたなと。
私の基本的なレースの勝ちパターンとして、スイムでリードして、次に得意なバイクで引き離す。手足が長いのもあって、有利なんです。最後のランは、1km何分ペースで走れば逃げきれるのかを計算して走ります。人それぞれ、強みを活かした戦い方ができるのがトライアスロンの特徴です。
ー改めて、トライアスロンの魅力を教えてください。
トライアスロンでは、「ゴールした人はみな勝者」なんです。スピードも関係しますが、自分との戦いを耐え抜いて、最後までやりきれば賞賛されます。誰かと戦う以前に、まずは自分。他の競技とは違った魅力に惚れました。
あとは、ポジティブ思考な選手が多いように感じています。スイム・バイク・ランのどれかが得意だから始める選手よりも、「やってみよう、できない方が伸びしろだ」とチャレンジしている方が多いので、気負わずに一度チャレンジしてみていただきたいですね。
ートライアスロンを始めてみたいと思ったら、まずは何から始めてみるのがいいでしょうか?
まずは自分の適性を知るのが良いと思います。自転車を見に行ってみたり、ウェットスーツを着て海で泳いでみたり。3種目とも少しずつ体験してみると、自分が好きなことや得意なことが見えてくると思います。
レースへの出場を最短で目指すのであれば、トライアスロンコミュニティに所属するのがおすすめです。技術的なサポートだけでなく、同じような立場で挑戦している仲間に出会えます。一人だときついので、応援しあえる仲間の存在は欠かせません。
スポーツは、笑顔のきっかけになる
ー中村さんは、日本で数人の女性トライアスロンコーチとして活躍されています。指導者としては、どういったことを意識されているのでしょうか?
トライアスロンは、命懸けで行なう競技でもあります。だからこそ、指導する上では正しい知識と経験値が必要です。それぞれの種目のインプットと、トライアスロンとしての総合力を高めるために必要なことを、日々模索し続けています。
選手と寄り添えるコーチであるために、行動心理学を学び、他にも機能解剖学や栄養学の勉強もしました。自分の経験を選手に活かしてもらえるように考えて接しています。
あとは、コンディショニングができるコーチになるためにヨガの学校にも通っていましたね。現在はヨガをベースとした選手向けのコンディショニングコーチとしても活動中です。
ー今後の目標をお聞かせください。
日本でいちばん優しくて、心と身体と目標に寄り添えるトライアスロンコーチになりたいです。「安全で怪我なくトレーニングをするなら美穂コーチがいいよ」と言っていただけるくらい、信頼される存在になっていきたいなと。努力を惜しまず、知識と経験値を高めていきたいと思っています。
トライアスロンで、誰一人悲しい思いをしてほしくないんです。女性ならではの身体の使い方、強度のコントロールも考えながら、寄り添っていくのを目標としています。
心身が健康であれば、できることの幅は広がりますし、チャレンジするのも楽しくなります。自分自身を救ってくれたスポーツを通じて、私と同じように救われる人や元気な人を増やしていきたい、と心の底から思っています。