「生まれて初めて、卓球が楽しい」元日本代表・森薗美咲が引退宣言をしなかった理由。
「生まれて初めて、卓球が楽しいんです」。そう笑顔で語るのは、1年間の休養を経たのちに2022年に復帰を果たした元卓球日本代表の森薗美咲(もりぞの・みさき)さん(所属:FPC)です。
「高い目標がないなら、続ける意味がない」と勝利を第一に取り組んできた彼女が、復帰後は「自分のレベルで、卓球を楽しむのもひとつ」と話すようになりました。さらに休養中に重ねた経験をもとに、指導者としても成長されています。
2022年4月からはパラ卓球(立位)ナショナルチームの監督に就任されました。新たな心持ちで競技を続けようと決意した、きっかけや思いとは?森薗さんへ、今の心境を伺いました。
「純粋に卓球をする」のも選択肢のひとつ
ー今年の2月、2年ぶりに全日本卓球選手権大会へ出場されました。一度最前線から離れたのちに、復帰された経緯をお聞かせください。
年を重ねていくたびに成績が落ちていて、モチベーションを保つのが難しかったからですね。もともと「27、28歳くらいで引退かな」とは思っていたので、潮時だと判断しました。
でも、当時「引退宣言」はしていません。どこかでうっすら、「また戻ってくるだろうな」と感じていたからです。
競技から離れる最後の2020年全日本卓球選手権大会で、石川佳純選手と対戦できるチャンスがありました。同い年で、ライバルかつ憧れの存在として、ずっと意識してきた選手です。「佳純ちゃんと試合をして、良い形で締めくくりたい」と決意して挑みました。
でもいざ試合が終わってみると、スッキリしなかったんです。ホテルに帰っても、「これで終わり、は違う」と思いました。けれどすぐに新たな目標を持つことは難しいし、年齢的にも(当時28歳)今後のライフプランを考えたいなと。当時の私は「高い目標がないと競技に取り組む意味がない」と思っていたので、一度離れることを決意しました。
1年間休んでみると、「やっぱり卓球を続けたい」と思うようになりました。高い目標がなくても、「純粋に卓球がしたい」という気持ちが強くなったんです。
ー20代後半〜30代前半は、女性にとってライフステージが大きく変化する時期です。そのタイミングで競技から離れてしまう選手も多いですよね。
そうなんです。私もなんとなく26〜27歳で競技をやめて、結婚したり新たなお仕事を始めたりするんだろうと思っていました。卓球界では30歳を過ぎて現役の選手はほとんどいないですし、産後復帰の前例はありません。
だからといって、無理にやめる必要はないと感じました。以前と競技レベルが違っても、やりたかったら続ければいい。一度離れてから復帰してもいい。自分の意思を大切にしようと思いました。
ー年齢とともに難しい部分はあるかもしれないけれど、その中で続ける選択肢もひとつだ、と。
確かに疲労が溜まりやすくなったり、体力の衰えを感じることはあります。でもその分、経験値はあると思っています。経験は、練習では身につかない武器です。
「生まれて初めて、卓球が楽しい」
ー卓球を再開して、どのように感じられていますか?
「負けたら恥ずかしい」といったプライドがなくなり、人生で初めて「卓球が楽しい」と感じています。
5歳で卓球を始めましたが、これまで楽しいと思ったことが一度もなかったんです。幼い頃から厳しい環境でやってきて、世界の舞台で活躍しなければというプレッシャーがあったことが原因だと思います。実力的にも、上には追いつけない一方で、若い世代が追い上げてくる真ん中の位置。苦しいことが多かったです。
ー具体的にどういった部分が楽しいと感じられているのですか?
相手を見て考えて試合ができるようになって、楽しいです。
昔は、とにかく練習量を重ねて自信をつけるタイプでした。でも今は身体も若くないので、練習量はかなり減らしています。時間が限られているからこそ、練習中も試合中もより頭を使ってプレーするようになりました。
例えば、次に相手がどのようなボールを返してくるか、どんなサーブを出してくるのか、など。これまでは「練習でやってきたことを出しきる」ことが全てだと思っていました。
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引退して出会った、さまざまなレベルでの卓球の楽しさ
ー競技から一度離れたとはいえ、トップアスリートとして「楽しめればいい」と単純に捉えて取り組むのは難しい部分もあるかと思います。きっかけがあったのですか?
1年間の休養中に、“いろんな種類”の卓球があることを体感したんです。指導者にも興味があったので、ジュニアの選手や一般の方を教えていました。「純粋に卓球を楽しみたい」「一回戦で勝ちたい」など、それぞれのレベルで卓球を楽しんでいる姿を目の当たりにしたことで価値観が変わりました。
勝っても負けても楽しそうなんです。「競技として挑戦することだけがスポーツではない」と、意識が変わった瞬間でした。だから私も、「今できるレベルで、卓球を楽しもう」と思うことができました。
ずっと、「勝つことが正義だ」と思っていたんです。確かに競技として戦う以上、そういった側面があることは間違いありません。でもそれがスポーツの全てではないことを実感しました。これからも競技として取り組みつつ、根底にある楽しいという気持ちを忘れないでいたいです。
ー若い世代にとって、森薗さん自身が先陣をきって新たな選択肢を提示されるのは大きいと思います。
高いレベルで取り組んでいる選手に対して、初めから「楽しんで」というのは無理があると思います。でも、本気で競技を追求した先もあるということを示していきたいです。卓球界では私くらいしかいないと思うので、背中で見せていきたいと思っています。
卓球界でも、結婚・出産後も続ける選手が出てくるといいですよね。もちろんかなりの努力が必要だと思うので簡単には言えませんが、ママさんアスリートをサポートできる環境が整っていけばいいなと思います。私自身、この先「自分の子どもにプレーしている姿を見せたい」という小さな夢を持っています。
パラ卓球の監督へ。背中で見せられる指導者でありたい
ー2022年4月から、パラ卓球(立位)ナショナルチームの監督に就任されました。新たな挑戦に至った経緯をお聞かせください。
2021年の1年間、ジュニアのナショナルチームコーチを経験させていただきました。そこでの繋がりから、日本卓球協会の方にお声がけいただき、パラ卓球に関わることになりました。
は
もともと代表レベルでの指導をしてみたいと思っていたものの、パラ卓球はあまり観戦したこともなかったです。知識もないし、一度考えさせてほしいとお伝えしました。
決め手となったのは、同い年で元卓球選手の高橋尚子(たかはし・しょうこ)ちゃんの存在です。彼女は高校3年生の時、全日本卓球選手権大会の帰り道に事故にあい、四肢麻痺となってしまいました。これまでとは違った生活になってもとても前向きに生きていて、YouTubeで発信もしています。彼女の影響もあって、「パラ卓球に対して何かできるのであれば」と思い監督になろうと決意はしました。
ー実際、関わってみていかがですか?
パラ卓球では、一人ひとりの障害の重さが異なるので、健常者の卓球以上に一人ひとりにあった教え方をする必要があります。そのためには、障害が先天的なのか後天的なのか、 持病はあるのかどうかなどを把握しなければいけません。それぞれがどんな経験をしてきたのかも踏まえて接するように心がけています。
選手たちは、私の想像以上にポジティブで明るいです。気さくな方が多いので、入りやすかったのを覚えています。卓球が好きで続けていて、それぞれの目標を持って取り組んでいる姿は、私にとっても刺激になっています。
ただ、パラリンピックでメダルを取るという目標には届いていないのが現状です。全体としてレベルアップするための取り組みを模索しています。
ー最後に改めて、「競技を続ける」ことに対して、アスリートへのメッセージをお願いします。
自分の人生なので、自分がしたいように歩んでほしいです。日本だと周りに合わせる風潮が強いですが、同調したり、前例がないからと挑戦しないのはもったいないかなと。
「どんなモチベーションで続けているの?」とよく聞かれますが、自分が好きでやっていることだから、続けられるんです。自分の軸で決断したことなら、どの道を選んだとしても正解だと思います。
特に女性アスリートは、まだまだ自分の意見を大切にできていない人も多いように感じています。周囲の目を気にしているのもあるかと思います。でも、周りに流されてしまうのはもったいない。好きなことであれば、どのレベルであっても続ける価値はあると思うので、ぜひ挑戦し続けて欲しいですね。