「その質問がいちばん難しい」20年間の現役生活を終えた三宅宏実が考えるセカンドキャリア
146cmと小柄ながら、自分の体重の2倍以上のバーベルを持ち上げる元ウエイトリフティング日本代表・三宅宏実(みやけ・ひろみ)さん。夏季オリンピックに5大会連続で出場し、ロンドンオリンピックとリオデジャネイロオリンピックではメダルを獲得。その後、2021年11月に引退を発表しました。
世界のトップとして活躍した経験を活かし、現在は指導者に転身をしましたが、競技者から指導者への転身は、気持ちの折り合いをつけるまで時間が必要だったそうです。
17歳から36歳までと長く第一線で戦い抜いてきた体や心との向き合い方、競技を通じて得られた貴重な経験、そして引退後のライフプランについてもお話をお伺いしました。
指導者になって、よりリスペクトを感じるように
ー引退してから現在の活動内容を教えてください。
現役時代から所属している、いちご株式会社でスポーツマネジメントを担当しながら、ナショナルトレーニングセンター(※)を拠点にコーチとして指導に携わっています。
※日本トップレベル競技者用トレーニング施設
ー現役の頃から、指導者になることを決めていたのですか?
決めていたわけではなく、自然の流れですね。引退後に指導者の道を用意してくださっていたので、トライしてみようと。競技の経験を活かした仕事に就けることは、貴重だと思っています。
ー同じ競技でも、選手と指導者として携わることは違うように感じます。
立場が変わって、非常に難しいと感じています。私と選手の感覚は違うので、自分にできたことが相手にもできるわけではありません。言語化して伝えるのはとても難しく、受け取る側も気分や状況によって変わってきます。
タイミング次第では、相手を不快にしてしまうこともあるので、最新の注意を払ってコミュニケーションをとるようにしていますね。
ー三宅さんが今まで競技を経験したからこそ、気が付く部分もありますよね。
競技の厳しさを知っているからこそ、時には遠慮してしまうこともあるんです。指導者としてはわからないことも多いですが、選手と深く関わりながら信頼関係を築き、お互いに成長していくのが一番かなと思っています。
ー引退されてから、JOCナショナルコーチアカデミー(※)を受講されていましたね。学びの中で印象的だったことはどのようなことでしょうか?
「傾聴」の大切さを知ったことですね。コミュニケーションは定型文で行うのではなく、現場での温度感が重要なんだと学びました。
悩んでいる選手は、何らかの言葉を求める人もいれば、単に聞いてほしいという選手もいます。相手のことを理解するように傾聴してから、何が必要なのかを正確に把握していきます。
「この選手がこんな問題を抱えていたら、どうアドバイスするか?」といった現場に近い状況を想定して、話し合いも行いました。問題の予測や対応策を考えて、リスクを避けられるように学びを深めていきました。
傾聴は熱意と根気が必要なので、コーチアカデミーを受講して、より指導者を尊敬するようになりましたね。
※各競技種目のトップコーチ・スタッフが、「コーチング」「マネジメント」「コミュニケーション」等のカリキュラムやケースメソッドを通して経験や知見を交換し合える環境をつくることにより、オリンピックをはじめとする国際総合競技大会に派遣するコーチ・スタッフの更なる資質向上に務めている。
「すごく中途半端なんじゃないか」と迷った日々
ー引退をして生活が大きく変わったかと思います。そこで一番苦労したことはどういったところですか?
指導者として動き出した頃、まだ自分が何かを成し遂げたいという思いが完全には消えていなかったので、気持ちに折り合いをつける必要がありました。
「すごく中途半端なんじゃないか」と迷ったり、もう少しゆっくりしてからセカンドキャリアに進むべきだったのかな?と考えましたね。でも性格上、一度決めたらやり遂げたいので、悩みながらですが前に進むように切り替えていきました。
メンタルはアスリートにとっても指導者にとっても、重要な要素だと実感しています。
ー気持ちに折り合いがついたのは、いつ頃でしょうか?
感情を整理できたのは、半年ぐらいたった頃です。それまでは言葉に表せないような感情を抱きつつ、「このままではいけない」と感じていました。
私は器用ではないので、一つのことしか集中できません。今までと違った部分に戸惑うことも多いですが、それが面白い部分でもあるんです。選手を見ながら失敗も成功も経験し、自信を積み重ねていくものだと思っています。
選手から教えてもらえるってことも多いですね。1人1人みんな違うからこそ、選手とより深く関わって、指導者としても成長していきたいです。
「生理は体調が悪くなる」という先入観で判断しない
ー長く競技を続けられていると、苦しい時期もあったかと思います。
リオデジャネイロオリンピックからの5年間は苦しかったですね。最後の東京オリンピックに向けて、なかなか怪我が完治せず精神的にも厳しい日々が続きました。
苦しい中でも心の支えになったのは、身近に応援してくれる人がいたからです。それが力となって何とか乗り越えられたと思います。
ー応援が力になったんですね。現役時代に特に気をつけていたことはありますか?
基本的な栄養や睡眠は、重要視していました。シンプルなことですが、深く突き詰めると奥が深いと感じています。
階級制度があるのでたくさん食べられない分、バランスよく食事をとることを意識していました。特に20代後半になると、食生活を整えることで怪我のリスクを減らせるように感じていました。今は選手たちにも、偏らないようにバランスよく食事を摂るように指導しています。
また疲労回復のために、できるだけ早く寝るように心掛けていました。その中でもモチベーションを上げるために、お気に入りのリラクゼーションである、アロマやマッサージも取り入れていました。小さい楽しみを作ることも気分転換の一つでしたね。
ー減量をしている選手の中には、月経生理不順に悩んでいる方も多いと聞きます。
私は幸いにも生理不順はなく、試合にも被ることはそんなにありませんでした。他の選手は体調不良を感じたり、吐いてしまったり、食欲がなくなるといった症状があったようです。
ただ、体重の増減や生理前に腰が痛くなるという症状は私にもありましたね。
ー月経生理で腰に違和感があるのか、怪我としての違和感なのか区別しづらいですね。
年齢を重ねるほど分かりにくくなっていました。選手を見ていても調子が悪い時は、生理前であることが多いです。生理中に試合があることも避けられないので、いかなる状況でもパフォーマンスを発揮できるように医師に相談したり対策を立てています。
ただ、生理中に良いパフォーマンスを発揮できることもあるので、一概に「生理期間は体調が悪くなる」とは言えません。先入観に捉われず、その日の体調により適切な判断をすることも、アスリートとして重要なスキルですね。
なんでも楽しんだもの勝ち!
ー先日ご結婚を発表されていましたね。おめでとうございます!引退後のライフプランは計画されていたのですか?
なんとなくですが、計画していました。北京オリンピックが決まったとき、22歳で結婚したいなあと考えていましたが、メダルが取れなかったので再び夢を追いかけたいと4年間挑戦することにしたんです。
オリンピックが終わるごとに結婚への憧れはあったのですが、競技を続けたいという思いから、どんどん遅くなっていきましたね。
ー周囲が結婚していくなかで、競技を続けながら焦りは感じていましたか?
焦りはなかったんです。自分のやりたいことができて、充実していました。今しかできないことがあったので、タイミングが来たら結婚できればいいなと。今も自分の決めた道を進んできてよかったなと感じています。
ー素敵ですね。今後の目標について教えてください。
実は引退をしてから、この質問が一番難しいと感じています。今も多くの目標はあるんですが、選びきれなくて…(笑)。将来的にはウェイトリフティングに貢献していきたいと考えていますが、今はその準備段階かなと思っています。
一日一日を無事に乗り切ること、そして指導する選手に対して最善の指導をすることが私の今の目標です。私自身が指導者としてまだ足りていないと感じる場面も多いですが、選手たちに何ができるかを考えながら日々を過ごしています。
ー最後に、B&の読者にメッセージをお願いします。
今辛かったとしても、アスリートとしてのキャリアは人生の中で非常に短い期間です。今しかできないこと、その貴重な時間を最大限に活かすには、目標から逆算をして、時間の捉え方を少し変えて行動に移すことで次の人生に活かせるんじゃないかなと思います。
挑戦する時って失敗のリスクを考えてしまうと思うんですが、失敗が人間を成長させてくれると思っています。自分らしく、信念を持って、楽しみながら自分の道を突き進んでほしいと思います。今を大切にして、楽しんだもん勝ちかなと。今、この瞬間を大切にして、自分自身を楽しんでください!
ーありがとうございました!