ハンドボール元日本代表・池原綾香はデンマークでどう変わった?「選手たちが本当に幸せそう」

ハンドボール元日本代表の池原綾香(いけはら・あやか)さん。身長157cmと小柄ながら、デンマーク1部リーグで7シーズンにわたり活躍。日本人選手として初めてヨーロッパチャンピオンズリーグに出場するなど、世界の舞台で実績を残しました。引退後も日本とデンマークを行き来しながら活動を続ける池原さんに、選手時代の挑戦や、両国で過ごす中で見えてきた文化の違いについて語っていただきました。

もっと変わりたい!小ささを武器に海外へ挑戦

ーハンドボールを始めたきっかけを教えてください。

元々はハンドボールではなく、バレーをやるつもりでした。小柄ながら日本代表で活躍する竹下佳江選手の姿を見て、自分もやってみたいなと。ところが私が小学校に入ったタイミングでバレー部が廃部に。そんな経緯もあって、友達が誘ってくれたハンドボール部に入りました。

ーそして小中高と続け、大学2年生で初めてU‐20日本代表に選ばれました。当時を振り返ってみていかがですか?

日々の努力が認められた気がしてすごく嬉しかったです。当時は自分をアピールするのも苦手で控えめな性格だったため、見てくれている人はいるんだなと報われた気持ちになりました。

ただその後は、怪我や自分の実力不足もあって、代表には呼ばれたり呼ばれなかったり。でもその経験を通じて「なにくそ!」というハングリー精神が芽生えました。振り返ってみると、その気持ちが日本代表に戻る原動力になったと思います。

ーその後、三重バイオレットアイリスを経て、デンマーク1部ニュークビン・ファルスターに入団されます。海外移籍を考えたきっかけは?

日本代表として海外遠征や国際試合を経験する中で「いつか海外でプレーしたい」と考えるようになったんです。自分の殻を破りたい、もっと変わりたいという思いも相まって、徐々に海外挑戦への思いが強くなっていきました。

ー海外挑戦を本格的に考え始めたのはいつ頃ですか?

本気で考え始めたのは2016年です。きっかけは、代表チームに新しく就任したキルケリー監督との出会いでした。デンマーク出身の彼から「海外でプレーしてみないか?」と言われ、その一言で、漠然と考えていた海外挑戦が現実的な目標へと変わったんです。そこからは自分でもリサーチをするなど、移籍に向けて準備を始めました。

ーニュークビンへの移籍は、どのような経緯で実現したのでしょうか?

最初はハンドボール協会を通じていくつかのチームと話が進んでいたものの、残念ながら全て白紙に。どうやら日本人選手をプロとして獲得するのは、移籍金の問題もあって難しかったようです。でもどうしても海外でのプレーを諦めきれず、思い切ってゴールデンウィークにデンマークへ行きました。そして現地の知り合いに協力してもらい、オーデンセというチームの練習に参加。そこで運良くニュークビンの監督と出会い、これはチャンスとばかりに必死で自分をアピールしたんです。

日本に帰国して2週間後。ハンドボール協会を通じて、ニュークビンからオファーが来たんです。直接アピールしなければ絶対になかった話でしたし、自ら行動することの大切さを実感しました。

ーどういった点が評価されてオファーにつながったとお考えですか?

私の持ち味でもある、小ささを武器にしたプレーが評価いただけたようです。これは昔から意識していることですが、体格が大きくパワーのある相手に対して、スピードやフェイントを使って対抗する。相手が嫌がる動きをして、どんどん攻めていく。あえて低い位置から勝負を仕掛けるこのプレースタイルが、大柄な選手の多いデンマークのチームの監督には刺さったんだと思います。

 

泣き虫だった私が毎日笑顔に。デンマークで見つけた新しい自分

ー移籍当初の心境はいかがでしたか?

最初は本当に必死でした。1年契約でしたし、とにかくアピールして絶対に認めてもらうんだという気持ちが強かったです。というのも、私としては、2019年の熊本での世界選手権、2020年の東京オリンピックまでをひとつの区切りとして考えていたので、最低でも3年はデンマークでプレーしたかったんです。

だから最初にみんなでゲームをしたときも、拙い英語で一生懸命コミュニケーションを取るなど、今までの自分からは考えられないくらい、積極的に行動しました。でもそのおかげで少しずつチームメイトとも打ち解けることができ、結果的に移籍2ヶ月で次の2年のオファーをもらえたんです。

ー海外での選手生活を経て、何か変化はありましたか?

昔に比べて明るくなりましたね。子供の頃から泣き虫でいつも誰かの後ろについていくようなタイプだったので、今の自分を見ると、本当に変わったと思います。

でもそんな自分を変えたくて海外へ行った部分もあるので、移籍後は意識的に行動を変えました。毎日笑顔でいること、コミュニケーションを大切にすること。そうやって人との繋がりを築いていく中で、デンマークの人たちの温かさに触れていったんです。彼女たちの陽気さや明るさに影響を受けて、私の性格も変わっていった気がします。

ー2019年には右膝前十字靱帯と半月板損傷の大けがを経験されました。当時のお気持ちを教えていただけますか?

さすがに落ち込みましたね。その年の世界選手権と、その先の東京オリンピックのために頑張ってやってきたので。けが直後は「もう終わった…」と絶望的な気持ちになりました。でも何とかして間に合いたいと思って、そこから日本代表のトレーナーやクラブの人たちに相談。治療についてクラブ側から「自分で決めていいよ」と言われて、そこから前を向いてやっていこうと切り替えました。

ー治療方針を自分で決めることができたんですね。

デンマークのお国柄のようです。だから日本で手術するのも、デンマークで治療するのも、どちらでもいいけど、自分で決めなさいという感じ。最終的に、日本での治療を選択しました。

ー日本での治療を選んだ理由は?

一番の理由は、やっぱり言葉です。リハビリのプランを立てるときも、日本語でやり取りできた方が安心できるなと。あとは、デンマークと日本で治療に対する考え方も違いました。デンマークでは少しでも長く競技人生を送れるように、じっくり時間をかけて治すんです。でも私は半年後には絶対に復帰したかったので、日本での治療を選びました。結果的に東京オリンピックにも間に合ったので、本当に良かったです。

キャリアの考え方から練習風景まで。全てが違う日本とデンマーク

ー他にも日本との違いを感じることはありましたか?

キャリアに対する考え方が全然違いました。デンマークの選手たちは、プロのハンドボール選手としてプレーしながら、同時に将来のための準備もするんです。例えば、大学で勉強したり、資格を取得したり。ハンドボールに打ち込みつつも、次の人生についても考えているんです。そんな彼女たちの生き方が、日本人の私にとってはとても新鮮でした。

ーなぜそこまでキャリアの考え方に違いがあるのでしょうか。

これは私の考えですが、教育の違いが関係しているのかなと。デンマークでは、スポーツと教育が密接につながっていて、指導者と子供たちが対等に話し合う、そんな光景をよく目にします。

一方、日本では指導者の言葉が絶対という部活動やクラブチームも少なくありません。スポーツの現場で指導者と選手が対等に話し合える空気感があれば、何か変化が起きるのではないかと思っています。

ーデンマークでの指導者と選手のコミュニケーションの取り方について、より具体的に教えていただけますか?

デンマークの場合、まずは相手の発言をしっかり聞くんです。否定から入ることはなく、一旦は相手の意見を受け入れる。その上で「こんなやり方もあるかも?」といった形で提案する。それからお互いの意見を交換するという、この一連のやり取りを繰り返しています。

ーたしかに日本とは少し違うかもしれません。ちなみに選手個人の性格にも違いはあるのでしょうか?

国民性かどうかは分からないのですが、先ほどの話にもあったように、みなさん陽気で基本的にポジティブです。例えば、試合で負けても「ここはダメだったけど、あそこは良かったよね」って。そこから「じゃあ、次はこうしよう!」と、すぐに前を向けるんです。だから、落ち込むのは負けた直後だけ。ミーティングをする頃には、みんな気持ちを切り替えられているから、必ず次の試合に向けた話し合いができる。私は結構引きずるタイプなので、彼女たちの考え方から学ぶところが大いにありました。

ー練習の雰囲気から違いそうですね。

雰囲気も全然違いますね。私自身は小学校からずっと厳しい練習の毎日。「怒られて成長する」みたいな風潮もありました。それが決して悪いとは思いませんが、知らずしらずのうちに背筋が伸びていたというか。気づいたらすごく真面目な性格になっていました。

対してデンマークですが、どの選手もみんな本当に楽しそうにプレーしているんです。まず一番の違いは、監督がとにかく選手を褒めること。いいプレーをしたら、もう大騒ぎ。「イェーイ!」みたいな感じで、日本では考えられないような雰囲気です。それこそもし日本でそんな喜び方をしようものなら「練習中にふざけるな」って怒られそうなレベル(笑)。

でも、個人的にはデンマークのこの雰囲気がすごくいいなと思いました。選手たちが本当に生き生きしていて幸せそうなんです。だから私が子供たちを教えるときも、めちゃくちゃ褒めちぎってますね。

ー最後に、今後やっていきたいことを教えてください。

現在、日本とデンマークを行き来する生活を送っているので、日本にいるときは全国の子供たちにハンドボールを教えたいです。まずは生まれ故郷の沖縄から始めようと思っています。デンマークにいるときは、指導の勉強をしたいですね。将来的にはハンドボールの楽しさを伝えられるような活動をしていきたいと思います。

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