「ハンドボールあっての人生よりも、人生の一部として楽しむ」細江みづきが振り返るスペイン挑戦

スペインハンドボールリーグClub Balonmano Morvedre所属の細江みづき(ほそえ・みづき)選手。幼少期からの夢でもあった海外でのプレーを実現し、現在はスペインで活躍されています。海外経験を通して見えてきた日本ハンドボールの課題や、ハンドボールをさらに好きになれたきっかけについて、語っていただきました。

もっと上手くなりたい、止まらない向上心

ーハンドボールを始めたきっかけを教えてください。

元々、親が経験者で、特に父が高校で指導していたこともあり、幼い頃からハンドボールには馴染みがありました。小学校、中学校にハンドボール部がなかったので、高校まではやっていなかったです。父と一緒に体育館へ通ううちに、自分も始めてみたいと思うようになりました。

ー小、中学校の時は何かスポーツをされていましたか?

小学校に入った頃は柔道をやっていました。高学年ぐらいからバスケットボールを始めて、中学卒業まで続けました。

ー高校時代のハンドボール部での活動はいかがでしたか?

高校時代はずっと練習ばかりでした。父が監督だったので、家で一緒にビデオを見て反省することも。親に指摘されるのが嫌だという人もいると思いますが、私はその時間が好きでした。

部員が7人ピッタリで初心者のチームだったので、勝利を目標とするのは難しかったです。中学から始めていた子たちはみんな隣の市の強豪校に行ってしまったので、その影響も大きかったと思います。

チームは負けていたけど、自分自身に対しては「もっと(上のレベルへ)いけるだろう」という思いもありました。今思えば、少し過大評価だったかもしれません。とにかくもっと続けたいという気持ちが強かったです。

ー大学卒業後は地元チームの飛騨高山ブラックブルズ岐阜へ入団されました。選んだ経緯や当時の心境を教えてください。

実は、「大学を卒業したらハンドボールはやめてほしい」と親から言われていたんです。将来は学校の先生になりたかったので、特にその発言に反発することもありませんでした。ただどこか心の中では日本リーグでプレーしてみたい気持ちもあったので、先生をやりながら地元のチームで活動しようと考えて、ブラックブルズに入団しました。

ー翌年、三重バイオレットアイリスに移籍されました。何かきっかけがあったのでしょうか?

先生と選手の両立というのも甘い考えで、うまくいかないことが多かったです。結果的に地元のチームを辞めて、日体大の先輩がたくさんいるバイオレットへの入団を決めました。

バイオレットに入って本当に良かったと思っています。それまではずっと怒られてばかりで、何度も競技をやめようと思っていました。でもバイオレットの監督は違ったんです。手を抜いた時は怒りますが、基本的にはよく褒めて前向きな言葉をかけてくれます。やはり怒られてばかりだと萎縮してしまうので、この環境の変化がモチベーションにつながりました。

 

自分から会いに行って掴んだ、海外への道。

ーバイオレットへの入団後は、海外挑戦も。

監督とアシスタントコーチの助言をもとに、少しずつ念願だった海外移籍に向けた準備を進めていました。5日間休みがあったタイミングで、最も行きたかったハンガリーでハンドボールができるところを教えてもらいました。次の年はドイツへ。Twitter(X)でドイツにいるハンドボール関係者を調べて、自分から連絡をして会いに行きました。

ーハンガリーと日本では、どのような違いを感じましたか?

良いプレーをした人に対して、練習中から積極的に褒める文化があります。褒め方のバリエーションもいっぱいありました。

<写真:本人提供>

 

ースペインのチームに移籍されたきっかけを教えてください。

バイオレットに4年在籍して、いよいよ来年は本格的に海外に行くと決めたんです。エージェントには、自分のプレー動画と英語の履歴書を渡しました。スペインとハンガリー、フランスのチームに資料を送ってもらったところ、2週間後にスペインのあるチームから連絡が来たんです。でも、スペインは他の国に比べて給料が少なくて…。監督に相談したところ「アジアの代表でもない選手に給料を払うなんて、ヨーロッパではめったにない」というごもっともな話をされ、とにかく挑戦してみよう、と。

ースペインでは、どのようなことに影響を受けましたか?

ハンドボールがあっての人生ではなくて、人生の一部にハンドボールがあるという考えに影響を受けました。スペインの選手たちは現役時代からセカンドキャリアを考える人も多く、30歳で学校に行っている人も珍しくはないんです。

また日本の選手は練習後もプレーについて悩むことが多い一方、スペインの選手はハンドボールは楽しむものと割り切って切り替えが早いです。これも競技は人生の一部という考え方の現れなのかなと。

ースペイン語は話せたのですか?

勉強は少ししていました。でも実際に来てみたら、スペインにも方言みたいなものがあって難しかったです。

他に困ったのは食生活ですね。スペイン人は1日5食も食べるので、1年目はその生活スタイルに全く慣れませんでした。ただ、当時のシェアハウス生活でチームメイトと衣食住を共にできたことは、濃い関係性を築くという意味でとても良い経験ができたと思います。

ー日本とは練習内容も違いますよね。

日本の練習は3時間もあるので、スペインの選手には厳しいかもしれません。一方、スペインの練習は1時間半で終わるので、私としては少し物足りなく感じます。でもそれがハンドボールをもっと好きになるモチベーションになるんです。長時間の練習でハンドボールを嫌になるよりも、もう少しやりたいなという気持ちで終わる方がいいなと思いました。

<写真:本人提供>

 

日本リーグへの復帰を視野に。スペインでの経験を活かしていきたい

ー海外も経験されて、日本のハンドボールの環境面や認知度をどのように感じられていますか?

日本のハンドボール界では、社会人チームで3年もすれば辞める選手がすごく多いんです。まだまだ続けられるはずなのに「自分は歳だな」と感じて辞めてしまう人もいて。でも縦にいくスピードさえあれば続けられる競技なので、歳を理由に辞めることはすごくもったいないと思っています。

実際に、スペインでは30代以上の選手がいるチームは強いんです。若手とベテランが一緒にプレーすることで良い相乗効果が生まれています。監督だけでは教えきれないところをベテラン選手がカバーしている感じです。

対照的に、日本のハンドボール界はメンバーの若返りを目指している印象がありますね。私もいずれは日本に戻ることを考えていますが、たいていまずは年齢を聞かれるんです。

ー今後の展望をお聞かせください。

最終的には指導者になりたいです。スペインで得た経験を日本リーグに持ち帰って、ハンドボールを好きになるような選手を育てたいです。あとはスペイン語も上達したので、通訳にも挑戦してみたいなと。

でもまずは選手として日本リーグに戻ることを視野に入れて、少しずつ動き出そうと思っています。

ーまた日本でプレーが見れる日を楽しみにしています!

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