今野龍子さんとSUPレースの出会い。競技転向でもブレない理由
高校卒業後に始めたキックボクシングで、フェザー級日本ランキング第1位にまで登りつめた今野龍子さんは、顎の骨を折る大怪我をきっかけにリングを降りました。入院中のベッドの上で転職活動(!)を始めたという龍子さんが、次の活躍の場所に選んだのはSUPレース。練習も戦い方も正反対の競技に転向してもなお、昔からやりたかったことが一つ一つ実現していくという龍子さんの引き寄せ力の秘密は・・・?
目次
あざだらけのベルガール。キックボクシングのために職場も変えて
高校生のころに、友人でアマチュアのキックボクサーの試合を見に行ったことがきっかけで、ボクシングジムに通い始めました。ずっと興味はあったのですが、なかなか始められずにいたところ、その会場で見た試合の迫力が少し物足りなくて。自分ならもっとできるんじゃないかと思い、試合に出ることを目標にジムへ入会しました。
最初はホテルのベルガールとして働きながら練習を続けていたのですが、スカートを履いた足がどんどんあざだらけに(笑)。夜勤も多く、練習や食事も不規則にしかできなかったので、もっとキックボクシングに集中する環境に変えようと、早番で働けるアパレルショップを見つけました。それからは17時に仕事を終えた後、19時から22時まで練習する生活を送り始めました。
大怪我を機に引退。本気で打ち込めるものを無意識に探していた
キックボクシングに専念し、ランキングも着々と上がっていきましたが、あるとき試合で顎の骨を折る大怪我を負ってしまい、それがきっかけで競技の世界からは離れてしまいました。たまに運動不足解消のために、夫*のジムに連れて行ってもらうことはありましたが、もう一度競技の世界に戻ろうとは思える状況ではありませんでした。それでも女子のキックボクシングの試合を見ると「やっぱりかっこいいな」と思ったりもしていました。
そんなとき、たまたま新婚旅行先のグアムで出会ったのがSUPでした。外国人が、海の上を立って進んでいるのがすごく気持ちよさそうに見えました。直感的に響くものを感じたんのですが、何というスポーツなのか全く分からず、「立ってパドル 漕ぐ」みたいな検索をしました(笑)。
*夫は、ジャパンキックボクシング協会日本ミドル級1位の今野 顕彰選手
日本でもSUPができるとわかり、帰国してすぐに一人でスクールへ体験に行きました。趣味でやる人が多いスポーツですが、そのスクールのオーナーが、私のバックボーンがキックボクシングだということを知って、SUPレースというものを教えてくれたんです。それで実際にレースを見に行ったり、SUPの専門誌を読ませてもらったりするうちに、段々と競技としてSUPに向き合いたいという思いが募っていきました。同時期にキックボクシングのほうで引退試合をしようかという話も持ち上がってはいたのですが、気持ちはすでに次のステップに向かっていました。
キックボクシングとは真逆の世界で、負けず嫌いを刺激された
キックボクシングは、対戦相手と自分だけの世界なんです。対戦相手が決まったら、その選手の試合の映像を見ながら、分析をして戦略を立てます。会ったこともない相手なのに、朝から晩までその人のことを考えているので、いつの間にか誰よりもその人のことを知っている気になるんです。そして試合終了のゴングが鳴った瞬間に抱き合って「ありがとう」と言う世界。その孤独なストイックさも、もちろん私は好きでした。
ですが、SUPが持つ、正反対の魅力に惹かれたのも事実です。SUPの練習はチームメンバーの存在感がすごく強くて。次のレースではタイムをどこまで縮めるか、そのために今日はターンの練習をしよう、スタートの練習をしよう、とみんなで話し合う。みんなで心拍計をつけながら練習をして、その記録を見ながら「ここで気を抜いた?メンタルのブレがあったんじゃない?」と叱咤激励したりと、チームメンバー全員でより上を目指していきます。
仲間の頑張りが見えるからこそ、負けたくないという気持ちもより一層強くなります。勝ち負けの裏にも、風向きやボードの種類などいろいろな要素が考えられ、自分の努力以外に作用するものが多いのも新鮮でした。キックボクシングは耐え続けた先にある一瞬の喜びを追い求めていましたが、今は楽しみながら強くなるという全く逆の価値観で競技を楽しんでいます。
気がつけば夢見たことがすべて叶っていた
競技での成績とは別に、いつか実現したいことを常に持っていて、それが気が付けばすべて叶っているということに最近気づきました。キックボクサー時代には、岡田敦子さんという選手兼インストラクターの道を行く人に憧れていたのですが、いつの間にか自分も格闘技経験を生かしたインストラクターをさせてもらっています。
しかも「銀座で働きたい!」というミーハーな願望まで一緒に叶っていました(笑)。メディアに出て発信したいという願望も叶っていたり。漠然とした願望を、たぶん意識せず口に出しているのかなと思います。そのとき置かれている環境で一生懸命もがいている中で、それを耳にした周りの方々が、私の進みたい道にサポートしてくれているような気もします。
キックボクサーになっていなかったら、保育士にもなりたかったです。子どもが好きで、高校時代にはインターンシップで保育園に行ったのですが、お昼寝の時間に自分も一緒に寝てしまって、これは向いていないなと(笑)。かわりに今は、産後トレーニングやベビーマッサージの資格をとって教えていて、間接的にではありますが子どもにも関わることができています。
実は最初にフィットネスのインストラクターを目指したときに、骨格調整トレーニングに配属されたのですが、そこでの経験が産後トレーニングやベビーマッサージにも生かされています。顎の骨を折って、引退を考えながら、入院先のベッドの上で探した求人でしたが、まさかこうして繋がるとは当時は思ってもいませんでした。
そうした“引き寄せ”の一番のサポート役は、夫かもしれません。その日の出来事や、感じたことをお互いに家でよく話すんです。悩んでいること、楽しかったことなどすべて。そこから、今私が一番夢中になっていることは何か、実現したかったことに近づける道はどれかを考えてアドバイスをくれます。私の夢に対して、私以上にアンテナを張ってくれている感じ。常に最高のアドバイザーがいるというのも、私の大きな武器です。
常に競技の世界に身を置いて生きている今野龍子さんですが、その口調は意外なほど謙虚で控えめ。夫の今野 顕彰選手はそんな龍子さんの話ぶりに、横から口を挟まずにはいられない様子でした。キックボクシングにもSUPにもインストラクターにも、本気で向き合っている龍子さんには、周りが自ずと応援したくなってしまう力があるようです。