もう一度、挑戦できるなら。女子バスケ・大崎佑圭が感じた産後復帰の壁
「女子バスケ界には、産後復帰の前例がないんです」
そう語るのは、元女子バスケットボール日本代表の大崎佑圭さん。
バスケットボール女子日本リーグ(Wリーグ)に所属するJX-ENEOSサンフラワーズのリーグ10連覇に貢献し、日本代表をアジア大会3連覇へと導き大会ベスト5にも選ばれるなど、日本の女子バスケットボール界を引っ張ってきた存在です。
出産を経て、育児に奮闘しながら目指した産後復帰において、彼女が経験した壁とは何なのでしょうか。
(取材:小田菜南子、市川紀珠 / 文・撮影:市川紀珠)
バスケにもう未練はない。でも一筋縄にはいかない引退
引退したときは、復帰なんて一ミリも考えていませんでした。現役時代に掲げていた目標は全て達成したし、もうバスケはいい、お腹いっぱいだって。競技への未練は一切なかったですね。
一番大きな目標は、日本代表として2016年のリオデジャネイロオリンピックに出ることでした。2020年の東京オリンピックに関しては、開催国枠でほぼ日本の出場は決まっていました。でもそうしたお膳立てなく、ちゃんと予選を勝ち進んで、自力で出場権を獲得したかったんです。もしリオを逃したら、また4年続けないといけない。当時の自分には、そこまで頑張れる自信はありませんでした。
この他にも、日本代表としてはFIBA女子アジアカップでの3連覇、チームとしては2018年の10連覇まで関わることができ、いい区切りでした。
全ての目標を成し遂げ、もうこれ以上はないなって。 目標がないと、続けられない性格なんです。連覇のプレッシャーも含めて、背負うものが年々大きくなっていって、精神的にしんどくなっていました。一度バスケから離れないと、続けるという選択肢すら出てこないと感じました。
子どもが導いてくれた、引退への道
15-16シーズンのリーグ戦終了後に、チームを今シーズン限りで辞めて家庭に入りたいことを伝えました。チームとしては私の人間性や経験を評価してくれたうえで、「辞めてほしくない」と言ってくれていましたが、私の意思も固く、話し合いは平行線に。
そんな状況の中、子どもができたんです。この子が手を引っ張ってくれたんだと感じましたね。
妊娠がわかると、チームからは選手時代とはまた違う形で全力でサポートすると言っていただきました。「おめでとう」の言葉が嬉しかったですね。
私の場合は契約社員として実業団に所属していたので、チームを辞めることは会社を辞めることを意味していました。だから引退と同時に会社も退社して、きっぱりバスケの環境から離れました。
「産休じゃないの?」とよく聞かれますけど、そもそもこれまで産休をとった人が女子バスケ界にはいなかったんです。だから私も、前例がないからどうしたらいいのかわからないというのが実際のところでした。
私から「産休が欲しい」と申し出ればチームも対応してくれたのかなとは思いますが、当時は復帰への思いがなかったので、辞めたほうが気が楽だなと思いました。もちろん生活の保障はゼロになりますが、復帰するならいつからからだを動かすのか、といった復帰計画を気にかけながら育児をすることになります。それは嫌だったので、当時の選択に後悔はありません。
女子バスケ界では、結婚自体が珍しい
そもそも、出産以前に結婚が1つの壁になっているのが、日本の女子バスケ界の現状です。引退してから結婚する人はいても、現役選手で結婚している人はほとんどいません。
だから私が結婚したときには、後輩から「結婚してくれてありがとう」と言われたほど。「現役でも結婚がしやすくなった」と感謝されました。
特に指導者や協会からの圧力があるわけではないのですが、「わざわざ現役中に自分が結婚する意味はない」という考え方が普通になってしまっているんです。「別にしなくてもよくない?」みたいな。結婚したところで今の自分の生活は変えられない。毎日練習とトレーニングがあり、家に帰るのは寝るためだけ。家事もできない。そんな状況になるのが目に見えているのに、今結婚するメリットってある?って思ってしまうんです。
私の場合は夫も忙しく、選手としての生活にも理解がありました。だから、家事も何もできないけど、それでも良いならと伝えたうえで、籍を入れることになりました。
オリンピック熱を感じ、高まった復帰への思い
引退当初は復帰など考えてもいませんでしたが、そんな気持ちを変えたのは、2020年東京オリンピック・パラリンピックへの盛り上がりです。以前から復帰を期待する声はあって、友達からも家族からもオリンピックに出てほしいと言われていました。正直、うーんとは思っていましたが(笑)。
でも、いよいよ開催が近づき、チケットの申し込みで盛り上がっているのを感じたり、「バスケ当たったんだよ!」という声を聞くと、そこで自分がコートにいたら面白いんだろうなと思うようになりました。自国開催のオリンピックで、もう一度コートに立ってみたい、と。
毎日赤字でバスケ。復帰とお金の問題は隣り合わせ
復帰の方法としては、チームに入団することが一番の近道かのように見えます。でもこれは、小さい子どもがいる場合には現実的ではない。土日に遠征があるので、ほぼ毎週金曜日から子どもを預けなくてはならず、金銭的な負担が大きくなります。
今は短時間なら近くの一時保育に預けていますけど、1時間1,000円くらいするので回数がかさむと正直きつい。かといって保育園に預けると、そもそも練習が夜に終わるため、迎えに行く時間がかなり遅くなってしまうんです。
ベビーシッターも考えはしましたが、どうしても1時間1,000円以上かかってしまいます。子どもをどこに預けるのかが一番のネックです。
そうなると、必然的にチームには所属せずに、無所属でオリンピックを目指すことになります。ただトレーナーもいないので、チームにいた頃とは違って、常にからだのケアをしてくれる人がいないのが不安なところでした。
早めのコミュニケーションが、復帰への鍵
このまま続けてもオリンピックに向けて復帰できるのかどうかわからない…。不安と葛藤する毎日でした。
そこで、現在の日本代表ヘッドコーチの方と一度会って話をさせていただくことにしたんです。復帰する環境の現状や、復帰への自分の気持ちを素直に伝えてみよう、と。
もしそこで「無理だよ」と言われたら、復帰をきっぱり諦めて次に進む覚悟はできていました。その場合は、普通に1人の母親として育児をして、たまにバスケットボール教室を開いて、という生活を想像していました。
練習中に子どもの預け先がないことと、自分のトレーニングを見てくれるトレーナーがいないこと。それらの環境が整えば自分としては復帰したいけど、解決されないならきっぱり諦めようと思っていると伝えました。
すると、私がもう一度チャレンジできるように日本代表のトレーニングコーチともう一度相談してみる、と言ってくださったんです。トレーニングに関しては、日本代表のトレーニングコーチが働いているパーソナルジムに通うのがベストではないかという話になりました。2019年の12月からほぼ毎日くらい、そこに通い詰めてトレーニングを行いました。
そうなると、問題はやはり子どもの預け先です。もうここまできて本気でオリンピックを目指すんだったら、腹をくくってお金を払うしかないな、と。自宅の駅の近くの一時保育に毎回預けることを決心しました。
ジムに通い始めて自分を見てくれるトレーナーはいるようになったものの、次はそもそも肝心のバスケを練習する場所がない、という壁にぶち当たりました。
まだ日本代表にメンバー入りをしていないので、都内にある味の素ナショナルトレーニングセンターも使えません。とにかく近所の市営体育館に連絡して、夫が休みの日に体育館がとれたら、そこで走るトレーニングやシューティングをしていましたが、それだけでは試合勘は取り戻せません。
そんなときも、周りに相談をすることで、さらに手を差し伸べてくださる方が現われました。
2017年より日本代表のアシスタントコーチである恩塚亨(おんづか・とおる)さんです。現在インカレ3連覇中の東京医療保健大学女子バスケットボール部のヘッドコーチもされています。彼が、私のバスケ部の練習への参加を快く受け入れてくださったんです。
しかもなんと、「うちだったらマネージャーもたくさんいるから、練習中子どもの面倒も見るよ」とまで言っていただいて。このサポートはかなり大きかったですね。子どもと一緒に行って、一緒に帰って来れるので、本当に安心で楽でした。
ゴールは、“違う強さ”を持った自分
そもそも100%現役時代に戻すなんてことはできないので、それも受け入れてやっていくことが大事だと感じています。どの産後復帰したアスリートでも、メンタルに関してもからだづくりに関しても、本当にゼロからのスタートです。そこに対して、「戻そう」と思うのはどうしても無理があるんです。
それは決してマイナスの意味ではなくて、新たな自分をイチから作っていくという自覚が必要だと感じています。ゴール地点は昔の自分ではなくて、違う強さを持った自分なんだ、と。
このことは、1月に参加した代表合宿で体感しました。出産前と比べて「落ち込むことがなくなった」、と。これもできない、あれもできないというより、できなくて当たり前。今日できなかったことは、明日修正すればいい。できなくても、「今日はこれができた」と前向きに切り替えることができるようになりました。以前と比べて、メンタル面では強くなったと思いますね。
自分の経験を伝えることで、産後復帰への道を示す
出産を控えている女性アスリートには、3つの選択肢が出てきます。復帰をしっかり見据えた上で出産に挑むのか、きっぱり諦めて引退するのか、私のように悩みながら進むのか。
これから出産を考えるアスリートに改めて伝えたいことは、しっかりコミュニケーションをとることですね。産後復帰においては、私が経験したように子どもの預け場所や練習場所など、ハードルはたくさんあります。
自分の素直な気持ちとそこにある現状について、周りのコーチやスタッフに話してみることが大切です。周りに伝えたことによって、私自身たくさんの協力を得て今復帰を目指すことができています。
あと私の場合は、復帰について悩みながらもジムで少しずつからだを動かしていて、ゼロベースではなかったことがプラスに働きました。体育館での練習を再開した当初は、ベッドから起き上がれないくらいの筋肉痛になるかとひやひやしていたのですが、全然ならなかったんです。
オリンピックが延期になったことで、復帰できるのかどうか、まだ私の中では整理ができていない状態です。このまま1年間からだのコンディションを維持するのは難しいことだと感じています。私がメンバー入りできないくらい、若手の台頭にも期待したいですし。
例え私の産後復帰の挑戦は叶わなかったとしても、今後女性アスリートが私の経験を活かすことができると考えて、今回伝えることにしました。
からだのコンディションを戻すだけでなく、子どもの預け先やお金の問題など、産後復帰のための壁は一つではありません。それらを一気に解決することは難しいのが現状ですが、焦らず一つ一つを確実に乗り越えていくことで道は開けるはずです。私の経験が、その挑戦の支えとなれば嬉しいですね。
■プロフィール
大崎 佑圭(おおさき ゆか)
1990年生まれ。元女子バスケットボール日本代表。同代表をアジア大会3連覇へと導き、大会ベスト5にも選ばれる。バスケットボール女子日本リーグ(Wリーグ)所属・JX-ENEOSサンフラワーズのリーグ10連覇に貢献。
Instagram:@mamipoco.21