女子野球・山崎まり「二足の草鞋は辞めた」すべての選択は野球のために
山崎まり選手が、野球チームに初めて所属したのは小学校2年生の冬。それから大学卒業に至るまでの年月を、男子野球の世界で過ごしてきました。2012年の秋には、2009年に発足された女子プロ野球リーグに加入。2019年10月に退団するまでの約7年間を、女子リーグの中で駆け抜けてきました。2020年1月16日には新たな挑戦を発表。プロ野球チーム西武が4月に発足するアマチュア女子野球チーム「埼玉西武ライオンズ・レディース」のトライアウトを受けることを宣言しています。
男性がメイン競技者である野球を、女性がプロとして続けていく際に対峙するハードルや、女子野球の今後について伺いました。
(取材・文:横畠花歩/撮影:山本晃子)
上手くなりたい一心、直談判で野球部へ
ー山崎選手の野球の競技歴を教えてください。
野球は20年以上続けています。小学校2年生の冬に地元・北海道の少年野球チームに入って、それから中高大と野球を続け、プロ入りをしました。
ー男子がメイン競技者である種目を続ける上で、進路はどのように選択されましたか?
進路を選ぶときは、毎回悩んで来ました。高校に入学する際は他県への進学も視野に入れましたが、地元でやりたい気持ちが強かったので、野球部のある高校へ直談判をしました。交渉の結果、チームメイトの後押しもあって、前例の無かった女子野球部員として入部・進学をすることができました。
大学は、研究という別角度からのアプローチができる「野球研究室」がある筑波大学へ進学。すべての選択の軸は、野球にありましたね。
ーまさに野球一色ですね。競技を続ける上でのモチベーションはなんですか?
野球が好きで上手くなりたい、ただそれだけです。男子と同じメニューをこなす中で、“女子だからできない”ではなく“上手くないからできない”と考えていました。男女差なのか、努力差なのか。努力することで埋められるものはすべて埋める気持ちでした。
ー大学では野球に対して学術的に学ばれたのでしょうか。
勉強には男女差がないですよね。女子が野球を続ける際の風当たりの強さを払拭するために、野球における知識という武器を持ちたかったんです。それに、カリキュラムでは教員免許が取得できるのですが、将来的にもし自分が教壇に立つ時が来たら、女子野球部を作らなきゃという使命感もありました。
二足の草鞋は、中途半端を生んだ
ー野球という太く強い一本柱がベースにあることで、ぶれることなく前進されてきた印象を持ちました。
いや、私も結構迷ってきましたよ。女子プロのテストの際も、最初の一年は教諭を経験してから受けましたし。
ー教諭としてのご経験を持ちながら、プロに転向されたきっかけはなんですか?
教諭をしながらクラブチームに所属して競技は続けていたものの、十分な練習時間が取れるわけじゃなくて。ある日、とある女の子から「どうしてプロにならないの?」という一言があって、子供にとって夢のある職業を選ぼうと思ったんです。
ー原点に戻るきっかけの一言だったんですね。
野球に本気で向き合うなら、練習量をもっと増やさなければならないので。教諭と競技の二足の草鞋を履くことは、私にとって結果的にどちらも中途半端になってしまいました。プロになって最初にもらったお給料のほうが安かったけれど、それでも本当に嬉しかったですね。
自分が何をしたいのか、何のために野球をするのか、一つ一つ腹落ちさせながらここまで来ました。
自分たちの手で行う環境づくり
ー女子プロ野球についてお話を伺いたいのですが、選手の方は普段何をされてるんですか?
タイムスケジュール的には、午前中に練習を行い、夕方には運営の仕事をしていました。基本的には選手たちが主に運営を実施しています。野球教室や、ラジオ番組の出演調整、グッズやファンクラブの係などですね。ちなみに私は野球教室の担当でした。
ー運営自体を選手ご自身がされているんですね。1日あたりの練習量はどのくらいですか?
7時から12時までです。自分たちの試合を運営するやりがいもありましたよ。プロになって初めて、オフという日を体験したのも新鮮でした。今までオフという概念がなかったので、空いた時間は自分のケアに当てたりしていました。仕事にしても野球にしても、ずっと「オン」の状態だったので不思議な気持ちでしたけど。
ー2019年の秋に退団されていますが、今のお気持ちをお聞かせください。
同じ競技者として、チームに残る選択をした選手と、辞める選手は思いが一緒で、みんな「女子野球の競技を発展させたい」と思っています。競技力とは何か、自分が求めているものは何か。今一度考える良い機会だったと思います。
ー男女差のジレンマが表面化されそうな話題ですが、女子プロ野球において競技力以外で求められるものはあるのでしょうか。
アスリートの価値は、上手いか、強いかどうかです。でもそれと同時に、運営のことを考えるとキャラクター性が求められたり、いわゆる「美人選手」という切り口で紹介されることもあります。いわゆる「女性らしさ」が求められることは本意ではないですが、少しでも女子野球界のためになるなら…という思いで頑張っている選手もいます。それをきっかけに興味を持ってくれる人が増えるのも、また嬉しいですけどね。
いつまでも、挑戦する人でありたい
ー女子プロ野球のチームを退団されて、所属先がまだ未確定の状態かと思いますが、今後の予定を教えてください。
まずこの冬に、野球の強豪国であるオーストラリアでトレーニングを実施します。去年も参加したのですが、今後も競技を続けるために今の私にできることは、欠かさずやっていこうと。
ー日本の女子プロ野球は強いのに(世界ランク1位)、競技環境が少ないのは悲しい事実ですね。
どうしても、注目度が低いことは事実としてあって。ただ、私たちが考えていかなくてはいけないのは、女子野球界のこれからのこと。キッズの女の子たちが、プロとして野球を続けられるような環境を作ってあげることなんですよね。そのためにまずは何ができるか。たとえそれが険しい道のりだとしても、希望的観測を捨てずに動くことが大事だと考えています。
ー選手としての活躍の場は、今後どういう風に展開していかれるのでしょうか?
先日発表がありましたが、西武ライオンズが妹チームを発足することが決定されているので、トライアウトを受ける予定です。練習場所の確保や本拠地もこれから決まっていくことだと思うのですが、何にせよ初の試み。女子にはアマチュアの規定がないので、今後どんなふうに広がっていくのか楽しみです。
ーゆくゆくは各チームが女子チームを抱えるという未来も描けそうですね。
そうなんです。女子野球界にとって、最初の一歩になる可能性を大いにはらんだ試みになるかと思います。私が女子野球のチームに初めて入った時、自分たちでグラウンドを探して、仲間を集めるところから始めました。でも、どんどん仲間が増えていったんです。人を動かすのは情熱だということを私は知っています。だから今、そしてこれからも人生を賭けてプレーしていこうと思っています。
■プロフィール
山崎 まり(やまざき まり)
1989年生まれ。小学2年生の時に真駒内スターズに入団。筑波大学3年時にはIBAF女子ワールドカップで世界一に。2012年秋にプロテストを受け、合格。2013年からレイアに入団し、プロ1年目にはチームトップの打点数を記録した。2015年には埼玉アストライアへ移籍し、最多打点・最多利打点とベストナイン(三塁手)を受賞。2017年にディオーネに移籍し、2018年にアストライアに復帰した。選手兼守備コーチを経て、2019年秋にプロ野球リーグを退団。
※撮影協力:SAWAKI GYM 早稲田本店 (東京・新宿区)