「五輪に出られない自分には、価値がないと思っていた」大山加奈(元バレーボール選手)
現役時代はバレーボール日本代表で活躍し、「メグカナ」として栗原恵さんとともに日本全国を虜にした大山加奈さん。注目を浴びる一方で、自分の存在意義がわからなくなる瞬間も経験してきました。一体、何が彼女を追い込んでいたのでしょうか。
まっすぐで温かい表情と、丁寧に選ばれた言葉で語る大山さん。スポーツをする子どもたちが置かれている環境への思い、大山さん自身の選手人生、引退後についてお話しいただきました。B&のインタビュー記事のなかでも、ちょっと長めの4500文字!ですが、大山さんの正直な気持ちがじん・・と伝わってくるはずです。
(取材・文:山本蓮理 / 撮影:市川亮)
バレーを選んでくれた子どもたちに、幸せになってほしい
ー大山さんは引退後、全国のバレーをする子どもたちや保護者、指導者への講演をされていますよね。どのような思いで活動をされているのでしょうか。
先日も、大分県の小学校のバレーチームの問題がニュースになりましたよね。全国大会に出るような小学校のチームの監督が、体罰で処分を受けました。
ーチームの強さの裏に、体罰を伴った指導があったんですね。
「メダル主義」も「全国大会」もいらない
ー指導者や親が行き過ぎた指導をしてしまうのは、なぜでしょうか?
楽しむために始めたはずのスポーツが、勝つことを強制するものになる。私は、小学生のスポーツに全国大会はいらないと思っているくらいです。
ー意外です。スポーツをやっている子は、みんな大会のために練習するというイメージがあります。
もちろん、子どもにとって「目標があるから楽しめる」ということは大事です。真の指導者の役割とは、そのバランスをとってあげることなんです。今はまだ、子どもへの指導体制が不十分な現場が多いと感じます。
小学生時代の練習が、脊柱管狭窄症の一因に
ーご自身の小学生時代を振り返っていかがですか?
小学生のバレーは、ポジションのローテーションがないので、一人でずっとスパイクを打ち続けることもあります。スパイクの動作はからだにとても負担がかかりますが、関係なく練習を続けていました。
ー小学生の練習とは思えない過酷さですね。
幸い中学・高校では指導者に恵まれ、トレーニング中心の練習になったため無理することは減りました。しかし、あの頃のからだへの負担が消えることはありません。
スポーツに幸せを奪われてはいけない
ーこんなに深刻な影響が出ることを、その頃は誰も想像できなかったのでしょうか。
スポーツは人生を豊かにするためにあるのに、スポーツをやったために享受できるはずの幸せを奪われる。こんな現状は変えなくてはなりません。
ー「今がよければいい」という考え方ではなく、「ずっとスポーツを楽しめるからだづくり」という視点が現場には欠けているのかもしれませんね。
その子ども時代が、出産後も現役でいられる彼女のからだを作っているのだと思います。彼女の話を聞いて、私もそんな子ども時代を過ごしたかったなと思いました。
ーなるほど。他に、ご自身の経験から「もっとこうしたかった」と思うことはありますか?
「逃げてもいい」視野を広く持つことの大切さを
ー大山さんは小学生の頃からバレーボール選手として活躍され、小・中・高で全国制覇という実績をお持ちですよね。オリンピックに出場したいという思いは、バレーを始めた時からありましたか?
だから、どんなに過酷な練習でも逃げることはできませんでした。小・中・高でそれぞれ全国制覇をしていることについて「すごいね」と言っていただくことは多いんですが、本当にそれが幸せだったのかなと思うこともあるんです。
ー実績としては本当に素晴らしいですが、実感としては違いますか?
講演会でも、よく「逃げてもいいんだよ」という話をするんですが、それは当時の自分のような子どもたちを救ってあげたい、視野を広げてあげたいという思いがあるからです。
「栗原さんは◯◯点取りましたよ」と言われ、泣いたことも
ー2010年に引退を決めた時はどんな気持ちでしたか?
現役時代は、いつも余裕がなかったんです。特に「メグカナ」としてマスコミに取り上げられてからは、ずっと周囲の目を気にしていました。二人でいるとメディアに取り上げられてしまう。インタビューされるのは常に私たちなので、同じチーム内の先輩などの目も気にしていました。
ーたしかにバレーといえば「メグカナ」が登場しないことはないくらい、常に注目の的でしたね。
自分が点を取れなかった時の試合のインタビューで「栗原さんは◯◯点取りましたよ」と言われて、泣いてしまったことも何度もあります。
ーそんなに意地の悪い質問をされるんですか!注目されることは悪いことではないですが、つらいですね。
ーゴシップや見た目のことのほうが、メディアには取り上げられやすかったりしますよね。バレーボールを知ってもらうために、飲み込まなくてはいけない痛みなのか…。たしかにジレンマですね。
孤独に耐えたリハビリ期間、引退への葛藤
ー引退の原因は、怪我でしたよね。
リハビリ中は、みんな体育館で練習しているのに、自分だけトレーニングルームにいる状態が続きます。一人だけ取り残されたような孤独感があるんです。
自分が出場できない中でチームが試合に勝っても、素直に喜べなくなっていく自分がいました。自分がいなくても勝てるんだと思うと苦しくて、チームに必要とされていない不安が積もっていきました。
ー引退した自分が何をするか、というのは想像していましたか?
ー先ほど「引退を決めた時はほっとしている自分もいた」とおっしゃっていましたよね。実際に引退してみて、現役時代に戻りたいと思うことはありますか?
それを見ていると、羨ましくなることもあります。自分の現役時代の余裕のなさが身にしみているから、余計にいいなと思いますね。
誰かに必要とされることが、一番の原動力
ーもしバレーボールをやっていなかったら、何になりたかったですか?
ーバレーボール選手として第一線で活躍しながら、勉強にも手を抜かなかったんですね。大山さんが今やっていらっしゃる活動も、子どもたちへの指導という意味では先生に近いものがありますね。
ー素敵ですね!引退して新しい自分に出会えたんですね。今、とても充実していらっしゃるように見えます。
必要とされるって、一番人間が頑張れる原動力ですよね。自分の経験があるからこそ語れることを、これからも伝えていきたいと思っています。
■プロフィール
大山 加奈(おおやま かな)
1984年生まれ、東京都江戸川区出身。小学校2年生からバレーボールを始める。
小中高全ての年代で全国制覇を経験し、高校在学中の2001年には日本代表に選出。オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。力強いスパイクを武器に、日本を代表するプレーヤーとして活躍した。
2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍。スポーツ界やバレーボール界の発展に力を注いでいる。