【#さよなら引退】競技環境の壁に負けなかった、彼女たちの選択
人生をかけたい競技に出会った。
それは幸せなことのはずなのに、
「女子だから」
「マイナーだから」
「社会人になったらやめるのが当たり前」
そんな理由で、情熱のやり場を失う選手たちがいます。
だけど、決して環境に負けず、競技への愛を貫き、
自らを、そして周りをも輝かせる生き方を選んだ選手たちもいます。
#さよなら引退
アスリートの人生から、望まぬ引退を取り払おう。
そんなメッセージを込めて、
今回は、競技環境の壁に立ち向かった4人の選手を紹介します。
#CASE1 青木蘭
青木 蘭(あおき らん)
神奈川県出身・1996年生まれの女子ラグビー選手。
幼少期に兄の影響でラグビーを始める。島根県・石見智翠館高校キャプテンとして全国大会2連覇、大会MVP獲得。慶應義塾大学SFCでは史上初の女子ラグビーチームを創設。現在は横河武蔵野アルテミ・スターズに所属している。
競技環境を求め、見知らぬ土地へ。大学では新チームを設立
女子ラグビーは選手にとっての競技環境があまり整っておらず、“続ける”という選択が難しい競技の一つであると思っています。私の場合、幼少期に父や兄の影響で競技を始めてから、ラグビーが人生の中心になり、何度も辞める・辞めないの選択を迫られてきました。
高校進学時に地元・神奈川を離れ島根県の石見智翠館高校に入学したことも、「辞めない」を選択した結果です。四六時中ラグビーのことを考える環境に身を置こうと、高校女子のラグビー部を探して、ようやく見つけた競技環境でした。親の理解と応援に背中を押されて、自分の願った通りに叶えることができました。また、私がそれを実行することで、後輩達の進路の選択肢が増えるかもしれないと思っていました。
大学は、日本ラグビーの伝統校の一つである慶應義塾大学に進学しました。高校時代の経験を活かし、大学在学中に母校史上初の女子チーム「IRIS神奈川」を設立しました。男子同様、女子が学びながらラグビーに打ち込める環境を実現できたことは、私にとっても女子ラグビーにおいても、大きな一歩だったと思います。
自分の進路を選ぶとき、自分が愛する競技が障壁になるのは、1番良くないことだと思っています。競技環境が無ければつくる、が同じ悩みにぶつかる選手の選択肢の一つになってほしい。私が切り開く新しい道はこれから先、誰かのための道しるべになる可能性だってある。後に続く後輩たちに、「こんな選択肢もあるんだよ」と、女性が学びながら、働きながらラグビーに打ち込める環境を作っていきたいですね。
#CASE2 YUI
佐々木 唯(ささき ゆい)
京都府出身・1988年生まれ。プロダブルダッチチーム「REGSTYLE」所属。
高校時代に取り組んだバスケットボール・ストリートダンスの経験を活かして大学からダブルダッチをはじめ、全国大会・世界大会3連覇の経歴を持つ。現在は競技を続けながら、トレーニングジムのコーチやMCやイベントのオーガナイズをはじめ、多岐に渡って活躍している。
仕事を競技の普及に結びつける。自ら生み出した”プロ”の道
ダブルダッチは、日本ではまだマイナー競技です。”辞める”という選択をすることなく、現役続行を貫いているのは、ダブルダッチという競技の魅力を知ってほしいという強い思いが胸にあるから。第一線に身を置いているからこそ、皆さんにお伝えできることってあると思うんですよね。
大学時代に全国優勝したあと、ダブルダッチよりも歌やダンスで有名になって発信力を持ったほうが普及への近道だと思い、芸能事務所に所属してダンスボーカルを目指したこともありました。でも、歌手になることが目標ではないのに、歌の練習をしている時間や、一番好きなことから遠ざかっていること自体への違和感がどんどん強くなりましたね。ダブルダッチの魅力を伝えたいなら、ダブルダッチを全力でやろうということに気づくのに3年掛かって、“今”をリアルに語れる現役のプレイヤーに戻りました。
現在、私はダブルダッチチームのメンバーとして活動しながら、トレーニングジムのコーチやフィットネスイベントのオーガナイザー、MCなどをしています。仕事を競技に紐付けて考えてみたら、その幅はぐんと広がり、同時に迷いもなくなりました。世界大会三連覇も果たし、現役であるからこそ意味のある言葉を届けられると思っています。ダブルダッチという競技をチームメイトと共に育てていきたいですし、様々な方面から競技にアプローチしながら向き合う自分に、期待をし続けたいと思います。
#CASE3 田村友絵
田村 友絵(たむら ともえ)
東京都出身・1990年生まれの女子アルティメット日本代表選手。
大学入学後に、友人の誘いでアルティメットを始める。2014年に日本代表に選出されて以降、国内外問わず様々な試合で活躍。現在は一般企業で働きながらクラブチーム「MUD」に所属、キャプテンを務めている。
競技のために転職。勝ちを目指す毎日に感じる充実感
アルティメットという競技に出会ってから、10年以上が経ちました。大学卒業後に社会人になって一度競技から離れたのですが、そのあとに所属したチームで競技への思いを再確認。競技を続けられる環境を作るために、休日を確保できる会社に転職しました。その選択は、間違いじゃなかったと思っています。
プレー面はもちろん、アルティメットの特徴である「セルフジャッジ」を通して得られる、人間的な成長を本当の意味で理解したのは、社会人になってから。だからこそ、今は学生時代よりも競技を楽しめているのだと思います。学生のアルティメット選手にも、この感覚を味わってほしい。まだまだ楽しい世界が待っているから、社会人になっても続けてほしい。その道を私が示せたらいいですね。
アルティメットはプロスポーツではないので、競技環境が恵まれているかと言われると、決してそうとは言えません。現在国内には約50のチームがありますが、所属する選手たちの生活は、自分で確保しなくてはならない。平日の仕事終わりにトレーニングの時間をとって、休日はチームでの練習に当てています。
社会人をしながら練習時間を確保することは簡単なことではないですが、そんな環境でも勝ちを目指していくことはとても魅力的だと思っています。これから競技人口が増えて、競技環境が改善されるように、アルティメットの魅力をどんどんお伝えしていきたいです。
#CASE4 山崎まり
山崎 まり(やまざき まり)
北海道出身・1989年生まれの女子野球選手。
小学校〜大学に到るまで野球を続け、大学時代には女子W杯で世界一を経験。卒業後は教壇に立つも、教員の道を捨てて女子プロ野球の世界へ。プロとして6年間活躍したのち、昨年退団。現在は今年発足されたばかりの女子アマチュア野球チーム「埼玉西武ライオンズ・レディース」に所属している。
決断はいつも野球ファースト。女子野球の道を切り拓くため
“女子が野球を続ける”ために、進路を選ぶときは毎回悩んできました。野球は男性がメインの競技と思われがちなので、プレーするための環境を自分たちで作るしかなかった局面もありました。野球が好きで、上手くなりたい。その情熱だけが、私を動かし続けるモチベーションです。
小学生の時に初めて所属したのは少年野球チームでした。女子の野球部なんて無いので、中学でも高校でも、男子に混じってプレーをしてきました。大学は、女子が野球を続ける際の風当たりの強さを払拭するため、野球における知識を得ようと、筑波大学に進学しました。教員免許を取得して、将来自分が教壇に立ったら、女子野球部を発足しようという将来まで考えての進路選びでしたね。
大学を卒業後、教員として働き始めた一年目にプロ試験を受けて女子プロ野球の世界に飛び込みました。教員時代に比べればお給料は少なかったけれど、比べ物にならないくらい嬉しかったです。昨年、女子野球界はリーグ発足10年目に大きな変革期を迎えました。私は所属していたプロチームを退団し、その後を模索していたところ「埼玉西武ライオンズ・レディース」が設立されました。トライアウトを受け、3月に入団が決定しました。男子プロ野球の加盟球団が公認する、初めての女子クラブチームということで、女子野球にとっては大きな一歩だと思っています。
私は、人を動かすのは情熱だと知っています。これからの女子野球がますます発展していくように、全力でプレーしていきたいですね。