慶應ソッカー部から総合商社へ。私がなでしこを目指さなかった理由
松本朋子さん、26歳。総合商社で働く彼女は、慶應女子ソッカー部の前主将で、東京都女子サッカーリーグ4部所属の社会人サッカーチーム・荒鷲FC設立当初にはキャプテンを務めたことも。サッカー歴は20年だと言う彼女に、サッカーへの想いを伺いました。
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サッカーの楽しさに魅せられて、日本一の名門クラブまで駆け上がる
サッカーをはじめたのは小学校1年生の時です。私は4人兄弟の末っ子なのですが、兄がサッカーをしていたことがきっかけで、私も小学校のチームに混ざってはじめました。姉はミニバスをやっていたので、途中で「バスケもいいな」なんて浮気心を持ったこともありましたが、サッカーがやっぱり楽しくて。どっちに動こうか、どこにボールを出そうかって、考えることがたくさんあるところが好きだったんです。コートも広くて、とても自由なスポーツという気がしました。
最初はただ「楽しい!」でやっていたサッカーでしたが、次第にどんどん熱が入っていきました。私が小学校高学年の年にアテネ五輪が開催されましたが、なでしこジャパンの活躍に「サッカーで、こんなことができるんだ・・・!」と感動して。小学生の時のチームも川崎市で優勝するような結構強いチームだったのですが、もっと上を目指したくて、中学では日テレ・メニーナの門を叩きました。メニーナは日テレ・ベレーザのユースチームなのですが、ベレーザには澤穂希さんなど当時の日本のトップ選手が多く所属していて、日本のトップに一番近い場所だと思ったからです。その年メニーナの入団テストに合格したのは、私を含めて4人だけでした。
サッカーの技術が全ての世界観に違和感
そんな風に練習に明け暮れていたんですが、高校生くらいの頃は、サッカーに対する気持ちが停滞した頃でした。サッカーを突きつめる環境のなかで自分の限界に気づいたのもありますし、その世界の価値観に違和感を感じ始めたことも理由でした。
ハイレベルなサッカーの世界では、究極的にはサッカーの技術以外は何も問われないような文化もあるんです。チームも試合も、水を汲んだりビデオを撮ったりというサポートをしてくれるチームメイトがいる上で成り立っているのですが、技術的に優れた人たちほどそういうところには目が向かない、というか。私はキャプテンだったのですが、試合で勝った時の気持ちを、試合に出ていたメンバーだけでなく組織全体で共有できるような組織づくりをしたいと思っても、それはすごく難しいことに思えました。そういう話をしてもあまり分かってはもらえず、技術至上主義は部員個人の話ではなく、指導者を含めたその場所全体の価値観に思えたんです。
それまでずっとプロになることを夢見てプレーをしてきましたが、もし頑張って上に行けたとしても、サッカーの技術以外問われない世界で、その先自分は幸せなんだろうか・・・・・・そう、思いはじめました。
そんな葛藤の果てに「大学ではもっといろんなことをやろう」と思うようになりました。全然違うスポーツをはじめてもいいな、とも。それなのに大学でもサッカーを続けることにしたのは、偶然「慶應女子ソッカー部」に出会ったからでした。
サッカーエリート集団ではない空間でもう一度抱くサッカー愛
進路を考えていた高校生の頃、姉が「友達がサッカー部にいるから、練習見にきたら?」と誘ってくれて、慶應の練習を見に行ったんです。そこでは、いい意味でびっくりすることの連続でした。慶應のサッカー部はスポーツ推薦枠やスカウト制度がないので、生粋のサッカーエリートが集まる場所というよりも、いろんな人がいるんですね。大学の体育会でありながらも、帰国子女や高校まではブラスバンドをやってきたような人もいて、その多様性のある空間が、それまで知っていたサッカーの世界とは全然違うように見えたんです。
こんなにも多様な人たちがサッカーっていうたった一つの共通点で集っている−−そのことにすごく惹かれて慶應に入り、大学時代は「このチームでインカレに出ること」を目標にプレーしていました。
競技者以外の選択肢に触れて
高校までは競技者としてのサッカーしか知りませんでしたが、大学時代はそれ以外でのサッカーとの関わり方に触れた時間でもありました。女子サッカーって、世界一にもなったのにまだまだマイナースポーツで、競技人口も少なければ選手の競技環境も整っているとは言えないんです。なでしこリーグはJリーグと違ってプロリーグではないので、サッカーだけに専念できる女子選手は日本のトップ層でも、たった十数人。ほとんどの選手は、他に会社の仕事をしながら練習をしています。そんな競技環境を変えたいと思って、ゼミではスポーツビジネスを勉強したり、サッカーの本場ドイツのクラブチームにインターンとして出向いてファン増加のためのチームのブランディング戦略を学んだりしました。
ドイツでは、サッカーチームが地域に根づいていて、人の生活のなかにすごくあって、サッカーが国全体にとても愛されている感じがしました。サッカーの文化的な地位も、高いように感じましたね。
そうやって、いろんな角度からサッカーを考えたことで得たものはすごく大きかったです。ドイツで、サッカーをもっと好きになりました。
技術以外も評価されるサッカー界になっていってほしい
サッカー選手を目指していた頃、中田英寿選手に憧れていました。自分を持っていて、 結果をしっかり出して、道を切り開くために必要な語学も身につけて、世界を回りながらサッカーだけにはとどまらないような国際貢献をして・・・そんな、「サッカーを通して、でももはやサッカーだけじゃない」というところに憧れたんです。サッカーの技術だけが一流なのではないサッカー選手というのは、サッカーのプロを夢見た私が憧れた存在そのものでした。
最近、なでしこジャパンの主将の熊谷紗希選手が「女子サッカー選手をもっと魅力的な職業にしよう」と、“なでしこケア”という団体を立ち上げました(編集部注:2019年7月設立)。競技環境の改善や女子サッカーというスポーツの社会的地位の向上を目指す活動で、影響力のある選手がそういった動きをとるのは、とても素敵なことだと思います。そういう風潮と共に、サッカー界の頂点でも裾野でも、人間の評価軸がサッカーの技術だけではないように変わっていくといいな、と思います。
サッカーがくれたもの
小中高大と続けたサッカーは、葛藤や挫折を経験することで内面的に成長させてくれたものであり、それを通して色んな人と繋がれたツールでもありました。大学時代はアメリカに留学していた時もあったのですが、その時は地元のサッカーチームに出入りすることで、交流の輪がすごく広がりました。一つの練習に行くと、「今度はこっちにもおいでよ!」と声をかけてもらって、最終的には6個くらいのサッカーチームに出入りしていました。サッカーって、ボールひとつあればどこでもできて、世界共通のスポーツで、すごいです。サッカーが繋げてくれた縁や見せてくれた世界はすごく広いもので、プロにはならなかったけれど、サッカーが与えてくれたものは、とても大きかったです。
社会人となった今も、慶應女子OGチーム(荒鷲FC)でサッカーは続けていると話してくれた、松本さん。荒鷲FCは都リーグに所属しており、年間10回ほど試合もしているそう。そんな荒鷲FCのユニフォームには、慶應ソッカー部の旧ユニフォームが使用されているとも、教えてくれました。
取材・文 / 蓮実里菜