やるしかなかった…五輪惨敗のアイスホッケー元日本代表・鈴木世奈がした「リスク覚悟の挑戦」【前編】
冬季オリンピックに三度も出場経験がある、アイスホッケーの元日本代表・鈴木世奈さんが波乱万丈な競技人生と引退後の今を綴ります。
中学から社会人リーグに所属し、2017年からブリヂストンタイヤソリューションジャパンで「アスリート従業員」として2022年まで競技を続けた鈴木さん。引退後は「元アスリート従業員」となり、同社に勤務されています。
現役中や引退後に得たもの、気づき、変化したことなどのほか、アイスホッケーを通じて鈴木さんが見つけた「勝利とは別の“人の心を勇気づけるもの”」とは。
前後編のうち、今回の前編では、アイスホッケーを始めたきっかけや、オリンピック惨敗からのリスクある挑戦で得られたものなどをお伝えします。
アイスホッケーを始めるための条件
アイスホッケーを7才の時に始め、北京2022オリンピックを最後に引退を決めました 。23年間アイスホッケーを続けてきたお陰でかけがえのない経験をすることができ、何よりたくさんの人たちに出会うことができました。本当にアイスホッケーから全てを学ばせてもらったと感じていて、感謝の想いでいっぱいです。
北海道の苫小牧市というアイスホッケーが盛んな 街で生まれ、3つ上の兄、父、そして祖父もアイスホッケーをやっていました。だから自然と私もアイスホッケーを始めたのだろうと思われがちですが、正直最初はあまり興味がありませんでした。
初めたきっかけは、やはり兄の影響が1番大きいです。(正確には違うかもしれない…)日々兄の練習についていくと、リンクには私と同じように兄の練習についてくる弟、妹たちがたくさんいました。そんな仲間たちと、練習を見るのはそっちのけで一緒に遊ぶのが実は楽しかったのです。
小学生になったタイミングで、一緒に遊んでいた仲間たちはアイスホッケーを始め、私にとって楽しい時間が終わってしまいました。そして全く興味がなかったアイスホッケーを、私も自分の意志でやってみたくなったのです。父は、180度考えを変えた私が中途半端な気持ちで競技を始めることを懸念したのか、「どんな時も一生懸命やること」を条件にアイスホッケーを始めさせてくれました。現役時代、結果が出ずに投げ出しそうになった時、この言葉がいつも私を引き戻してくれました。結果はコントロールできなくても、一生懸命やることは自分の意志でできるから。
中学生からは社会人チームに入部(女子選手は小学生までは男子の試合に出られるが、中学生になるタイミングからは社会人チームでプレーする決まりが北海道にはある)。大学生になったタイミングで、東京にある社会人チームに移籍しました。というのも、父の大学時代の話を聞き、「人生において視野を広げたい」という思いがずっとあり、大学からは東京に行くことを自分の中で決めていたのです。
そして大学4年生の時、目標としていたオリンピック(ソチ2014オリンピック)に初めて出場を果たしました。日本にとって1998年以来16年ぶりの出場、しかも自力でオリンピックへの出場権を獲得したのは初めてのことでした。
リスクある挑戦で得た「新しい考え方」と「明らかな変化」
オリンピックに出たことでアイスホッケーを応援してくれる人が増え、取り巻く環境が変わったのは明らかでした。実際にオリンピック出場を決める前は、競技への時間を作るためにアルバイトで生計を立てていた選手もいましたが、オリンピック出場を決めてからは応援してくださる企業や、所属社員として迎え入れてくださる企業も増えました。
しかし、1回目のオリンピックで日本は全敗。思っていた以上に世界との差を感じ、私は大きな無力感を抱えて日本に戻ってきました。世界の壁を感じてしまった以上、何か行動を起こし、挑戦するしか私には選択肢がなかったのだ、と今では思います。
日本で1年プレーをした後に、ソチ2014オリンピックで優勝したカナダのリーグへ挑戦することを決めました。「海外に行けば強くなれる」という保証はないし、むしろ強い選手に埋もれて試合に出られない可能性もあり、リスクの方が大きかったかもしれません。
それでも私はどうしてもこの挑戦がしたかった。アイスホッケーのレベルを上げることはもちろんですが、世界のトップリーグの選手の考え方を間近で学びたかった。どんな練習をしているのか、どんなものを食べているのか、どんな発言をするのか。一つでも多くのことを吸収したいという思いで挑戦することを選びました。
結局、この挑戦をきっかけに引退するまでに5シーズン、カナダとスウェーデンの3チームでプレーしました。
実際に、この5シーズンに渡る挑戦を通じて私が得たものは、アイスホッケーのスキルはもちろん、それ以上に「挑戦し続けるマインド」や「全力で物事を楽しむマインド」、つまり「考え方」でした。
そして、私にとっての「当たり前」が海外では当たり前ではないことに気づけました。この挑戦を通じて私自身の考え方、価値観ががらっと変わったことは明らかで、固定概念を良い意味で覆す経験になりました。私自身、従来と同じ考え方でアイスホッケーを続けていたら、どこかで辞めていたかもしれないと今では感じています。
2017年からは、現在も勤務しているブリヂストンタイヤソリューションジャパン(当時:ブリヂストンタイヤジャパン)にアスリート従業員として入社し、練習がない時は他の従業員の方とともに業務を行っていました。プロリーグがない日本のアイスホッケー界で社会人になってからも競技に打ち込ませてもらえたこと、そして長きに渡り海外挑戦までさせてもらえたのは、会社、そして何より従業員のみなさんの温かいサポートのお陰だと思っています。
企業との関わり方、現役後の気づきについて、鈴木さん自らが綴った【後編】もお楽しみに!