何歳になっても、続けたい。ママさんバレーボール 球友会の練習を訪問!
1974年6月に発足した、長野県松本市で活動するママさんバレーボールチーム「球友会」。所属メンバーは30代〜80代と幅広く、現在は26名で「ボールはひとつ」をスローガンに活動しています。長野県代表として過去全国大会に3回出場している、県内のママさんバレーを牽引するチームです。
チームを立ち上げたのは、長野県ママさんバレー名誉会長の佐藤洌さん。発足当時の振り返りやチームへの思いとは?また、選手の山根弥生さん(キャプテン)・北野ゆきのさん・横山菜々見さんの3名へ、ママさんとしてもバレーを続ける思いを伺いました。
女性のみで作り上げる、ママさんバレー連盟
ー球友会はもうすぐ50周年を迎えられるんですね。佐藤さんは創部に関わられたとのことですが、チームを立ち上げた経緯を教えてください。
佐藤:元々は地域のスポーツクラブで実施していたバレー教室が原点なんです。そこで出会ったメンバーや周りで昔バレーをしていた人たちにお声がけをして、9〜10人くらいで始動しました。
まずは強くなくていいから、仲間作りを大切にしよう、と。その甲斐あって今まで続いているのだと感じています。
ー長野県では、ママさんバレーは盛んなのでしょうか?
佐藤:設立当時は盛んでしたね。松本市内だけでも30チームほどあったんです。今はコロナの影響や、ソフトバレーや卓球などとママさんスポーツの選択肢も増えて、15チームまで減ってしまいました。
球友会の発足を皮切りに続々とチームができるようになって、1980年に長野県ママさんバレーボール連盟が立ち上がりました。一時期は県内で300チームほどあったんです。全チーム集まっての開会式はすごかったですね。1ブロック6チーム、30会場に分けて実施しました。運営が大変だったのを覚えています。
ー全て連盟で、自分たちで運営されていたんですよね。
佐藤:自分たちで全て動かしていました。家庭を犠牲にしてしまった部分も多く、理解してくれた家族には感謝していますね。
実は、長野県ママさんバレー連盟は完全に女性のみで運営しているんです。北海道の連盟が先陣きって実践していて、私が当時理事として、どのように組織を作っていったのかを聞いて参考にしてやってきました。
ーこれまでで最も印象に残っている試合はありますか?
佐藤:全国大会への出場が決まった試合です。一歩手前で涙したことは何回もありましたし、「あの一本がなければ……」と思うこともありました。それでもようやく決まった時は本当に嬉しかったですね。
身体が動く限り、大好きなバレーを続けたい
ー皆さんは、いつからバレーを始められたのでしょうか?
一同:中学からですね。
ー学生時代にバレーをしていて、ママさんとして改めて始めたきっかけを教えてください。
北野:結婚して松本へ引っ越してきて、もう一度大好きなバレーをやりたいと思いチームを探しました。周りの方から球友会を紹介していただいて、今に至っています。
横山:また違うところでやっていたのですが、このチームをご紹介いただいたことを機に入りました。
山根:たまたま母の高校時代の先生が所属していて、お誘いいただきました。子どもがまだ小さかったので迷いもあったのですが、一度やってみると楽しくてやめられませんでした(笑)。
ーお子さんは、皆さん預けられたりして参加しているのですか?
山根:一緒に練習へ連れてくる方もいますね。
ー出産後はどのくらいで復帰されたのですか?
北野:半年くらいで復帰しました。最初は全然身体が動かなかったのを覚えています。ジャンプしてもブレブレで。やっていく中で徐々に戻っていきました。
横山:私も1年くらいでしたね。
ーそんなに早いのですね!
平日週2回は、社会人チームとしては練習頻度が高いと思います。
山根:みんなバレーが大好きな人たちなので、「練習が多い」という感覚はないですね。ないと、「あれ、今日何しよう」と(笑)。曜日感覚が狂ってしまいます。
ー練習も見学させていただきましたが、学生時代とは違う、ママさんバレーならではの魅力もあるように感じました。
北野:ママさんバレーは、9人制なんです。学生時代は6人制なので、そこがまず慣れなかったです。「こんなに人がいるの?」と(笑)。人数が増えているのにボールが落ちる(ラリーが続かない)。そこが不思議でしたし、面白かったですね。
山根:年々動けなくなっていくんです……。最初は少し物足りなさもありましたが、だんだん居心地が良くなりました。
ー最後に、今の目標を教えてください。
北野:長野県で1位をとることです。いつも決勝で負けているので、優勝したいと思っています。
山根:結果ももちろんですが、みんなで長くやり続けたいですね。70歳以上の方向けの『おふく大会』に出場したいなと。それまであと数十年、頑張っていきたいです!