競技復帰の覚悟を決めた“失敗する権利”とは(石塚晴子/ハードラー)後編
前編に引き続き、陸上400mハードル・400mの石塚晴子選手にお話をお伺いします。
「結果が出る」とは何か。何かを目指さないと競技者として失格なのか。哲学的とも言える思考を持って、現在までを走り続けてきた石塚選手。後編ではそのメンタリティをさらに掘り下げ、今後の目標などを伺ってきました。
(取材・文:横畠花歩/撮影:山本晃子)
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言い訳探しが自分へのストレスに
―前編ではざっくばらんにお話しいただきありがとうございました。競技から距離を置くというご決断は、相当勇気の要ることだったと思いますが、どうでしょうか。
そうですね。私の場合はあまりにも何もかもうまくいかなすぎて、壊れる前にという切羽詰まった状況での結果だった気もします。
―かなり思い詰めた状態だったんでしょうか?
からだのいろいろなところに不調が出ました。朝、練習に行かなくて良い理由を探している自分に気づいてしまったり。モチベーションの低下に伴って、どんどん免疫力が下がっていくことを実感していました。
―結果が出ないことが相当のストレスだったんですね。
物事を「must」の精神でやり続けると、やらなくても良い理由や言い訳を探し出すんです。ずっと自分に嘘をついているようでした。それもまたストレスにつながってしまうんですよね。
陸上は目的ではなく手段だった
―2017年秋からローソン入社、実業団に所属したあとに、2019年7月頃から一度完全に競技から離れて、OLとして働かれたんですよね。離れていた期間はどれくらいですか?
実際に陸上から離れていたのは3、4ヶ月ほどです。休めないうちは大した選手になれない!と吹っ切れたことで、本当の意味での休養ができました。
―また昨年の10月には、競技復帰をご決断されたんですね、お帰りなさい!
ありがとうございます。休養中に、母校の大学に戻る?という提案もありました。休んだことが、私が走る動機はなんだろう?と再び考えるきっかけになりましたね。
―再度復帰を決意したきっかけは何でしょう?
最近引退した陸上の親友の話なんですけど、彼女が「私にとって陸上は、手段だった」と言ったんです。親や周囲の人に、自分のことを誇りに思ってほしかったから陸上を続けてきたって。その言葉に、妙に納得したんですよね。
それまでは明確な復帰理由がなかったのですが、「陸上は目的ではなく手段」ととらえることで、気持ちが前向きになりました。
―石塚選手にとっての動機が見つかったのでしょうか。
まず第一に、走るって本当にエキサイティングなことなんです。オフィスで、周りに座っている人には出せない力を、私はトラックで発揮することができる。自分の能力を、再度自覚しました。
私にとって、自分自身のブランディングは「陸上を続けていくこと」にあると思いました。
―陸上が「must」ではなくなる瞬間ですね。
陸上競技において、ある人に「悔しいと思わなくなったら終わりってよく聞くけど、私ってダメなんですか」と質問したことがあるんですけど。その返答が「楽しいと思わなくなったら終わり」だったんです。楽しいと思うことは悪いことではなかったと気づくことができました。
―「陸上選手」であることを自覚されて、競技に対する意識変化はありましたか?
再開するに当たって心がけようと思ったことは、謙遜しないことです。プロ意識を持つ。結果を求め、結果がどうであれ立場を全うする。再開を決めたとき、「私はアスリートです」と胸を張って言おうと決意しました。
どうしても自信がなかったから、今までは言えなかったんですけど、そんな自信のない姿を会社の人が見たらどう思うのか。私を応援してくれる人が、誇らしく感じられる存在になろうと決めました。
私には失敗する権利がある
―ちなみに、石塚さんの考え方のベースはどこにあるんでしょうか。
今でこそ自分には能力があると思えていますが、そんなに自信があったわけじゃないんです。失敗は怖いし、いつも不安と戦いながら走っていました。
ただ、私の中でお守りのような言葉があって。「私には失敗をする権利がある」という人からもらった言葉なんですけど、その一言にすべてが集約されています。
―常に自分を励ましてくれる言葉ですね。
今までは怖くて失敗なんてできないと思っていました。完璧主義な面が、自分を苦しめていたんですよね。失敗は怖い、かっこ悪い、恥ずかしい。そう思うことそのものが自分を苦しめていたことに気づいたんです。でも、この言葉に出会って、覚悟が決まりました。
―自分で考え抜いた上で納得をして決断をする、「自分には失敗する権利がある」という考え方をベースに、これから競技に向き合っていかれるんですね。
今までは漠然と「負けちゃいけない」と思っていました。目標がはっきりしていなかったので。何秒ならいいの?一位じゃないといけないの?そんな自問自答を繰り返すばかり。
今は「記録だけではなく、選手としてレガシーを残したい」という目標ができました。レースも「笑顔でゴールしよう」と思っているので、自分で自分にワクワクしている状態です。
―物事の選択をする際に大切にされているものってなんですか?
私の中の大事なものは、常に変わっています。陸上だけがすべてではないと、今なら言える。その時々の自分にとって、優先順位が一番高いものを大事にしています。自分に嘘をつかずに、選び取れるものです。
心の火を、客観的に眺める力
―今後のことについて伺っていきたいのですが、ズバリ目標は何ですか?
400mを51秒台で走ることです。10月に競技復帰を決めて、コーチを探し始めて、11月にはコーチを見つけることができました。目標を描くことができなかった自分に、「51秒台を出せる」と言ってくれたコーチと、これからは二人三脚で頑張っていこうと思っています。
年明けから3ヶ月間は、アメリカに渡ってトレーニングを実施する予定もあります。
―目標を持った石塚選手、強い。陸上への思いが再燃した形でしょうか。
がんばらなきゃって自分を励ましながら走っているときは、イメージとしてチリチリになった火に息を吹きかけている感じだったんですよ。一度私は息を吹きかけるのをやめた。吹くのをやめたところで、鎮火したらそれはそれでもよかったですし、一度観察しようと思ったんですね。
―心の動きを客観的にとらえていたんですね。
石塚さん:そうです。自分の心の動きを、離れることで観察しようと思ったんです。そして、その火がまだ消えていないことに気づきました。これからその火がまた、大きくなる可能性も高いということです。
―陸上において結果を残すこと、数字の先の目標は何ですか?
再開するにあたって、プロ意識を持つことを決めると同時に、選手の役割って何だろうということを考えました。私の中で選手の役割というのは、他に良い影響を与え、レガシーを残すこと。そのために強くなりたいと思えるようになりました。
結果を出して、影響力のある人間になって、同じような境遇に悩んでいるような女性や、子どもたちの力になりたいと思っています。
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■プロフィール
石塚 晴子(いしづか はるこ)
1997年生まれ。400m、400mハードル選手。400mハードルの自己ベストは日本歴代7位であり、U-20日本記録の56秒75、400mの自己ベストは日本学生歴代3位の53秒22。2015年の北京世界選手権では日本代表。ローソン所属。