2016年、石塚晴子選手が400mハードルのU-20日本記録を打ち立てました。日本の歴代では7位。2020年の現在もなお、彼女はその記録保持者という看板を背負い続けています。
素晴らしい結果が生み出したのは、「結果を出さなければならない」「何かを目指さないといけない」というネクストステージへの葛藤。怪我の経験、そしてOLへの挑戦。紆余曲折を経て、それでもなお走り続ける彼女。競技との向き合い方について伺ったお話を、前後編に分けてお届けします。
(取材・文:横畠花歩/撮影:山本晃子)
何かを目指さないと、競技者として失格?
―石塚選手は400mハードルのみでなく、400m走でも日本学生歴代3位の好成績を収められていますね。当時は相当な練習量だったのでは?
とにかくがむしゃらに練習を重ねていました。当時は高校のインターハイを目標に、全てを懸けていました。まさに陸上三昧。一度結果を出してからは、高校記録保持者という結果が重石となり、それを背負いながら常に不安を抱えたままスタートラインに立っていました。
―一度結果を出すと、つい周囲も期待をしてしまいますよね。
そして自分も、一度スポットライトの光を浴びる経験をしてしまうと、結果により貪欲に、より欲張りになってしまうんです。なぜ結果が出ないのか、何も悪いことはしていないし何も悪くないのに、勝手に挫折感を味わってしまったり。自分で自分の首を絞めるじゃないですけど、焦って仕方がありませんでした。
―目標がないという事は、競技者にとっては死活問題なんでしょうか?
わたしの場合、一度記録を出した後、とにかく頑張って努力をしても、記録が出なくなってきて。インターハイの後、次の目標をどこに設定して良いのか、どのように実現するのかのイメージもできない状態でした。自分ではその理由もわからず、とても苦しい思いをしていました。わからない事は調べる、調べてもわからなかったら聞く。目標があれば頑張れるのにと、不安の中で漠然と考えていました。
―競技を続けるにあたって襲い来る挫折や、辛い経験の共有が、SNSで多くの人の心に響いたようです。
自分のことをカッコ悪いとか、恥ずかしいとか思うからこんなに苦しかったんだって、今ならわかるんです。失敗した話や、恥をかいてそれでも挑戦した話に、背中を押される人がきっといるはず。そんな言葉を生むために、私は一回世代のトップ選手を経験したんだ、とも思うようになりました。
大学を退学後、ローソン実業団で活動。普通のOLも経験
―石塚選手は大学を1年で退学されています。相当の決意だったんじゃないでしょうか?
大学1年生の冬に怪我をしてしまって。当時ドイツで合宿に参加する機会があったのですが、そこで今までの常識とは異なる世界を経験したんです。私も不器用だったから、上手な解決の糸口を見つけられなくて。帰りの飛行機内で、“与えられた環境に対して文句を言ってしまう自分が嫌だ、大学をやめよう”って考えていました。
―思い切りが良いというか、度胸がありますね。
結局、自分で自分に責任を持ちたいという気持ちが強かったんだと思います。だから、個人で勝負ができる実業団選手っていいなと思って。ちょうどその時期に、縁があってローソンに入社して、2017年の10月から働いています。
―その後、競技を離れようと思ったのはなぜでしょう?
最初は時短勤務をしながら実業団の選手として練習していましたが、それでも思ったように結果が出なくて、競技から完全に離れることを決意しました。それまでは休むことに対して未知の領域だったんですよね。今まではずっと、陸上ありきの生活だったので。
―陸上をやっていて、しんどかったことってなんでしょう?
「全部自分でやること」ですね。大学を辞めて親元を離れたとき、それこそ身の回りのこと一つとっても、自分でやったことがなかったので、家事も初心者。記録で評価されても、自分には何もできない、そんなふうに思ってしまいましたね。完璧主義なので、また息が詰まってしまわぬよう、今ではうまくバランスを取りながらこなしています。
―OL生活も初めての経験だと思うのですが、どんなふうに日々を過ごされていますか?
それまで競技がメインの時短勤務から、定時で会社にいられることで、同僚や先輩、上司とのコミュニケーションが存分にとれて、日々の充実度が変わりました。初めて花金を経験したんですよ。わ、これが花金か〜!って。
今までは土日に練習をしていたので、金曜日のワクワク感を知らなかったので、そういった経験も初めてのこと。それに旅行にも行きました。スーツケースにスパイクを入れない旅行です。プライベートでは意外と荷物が少ないタイプだということにも気づきました。
―陸上から離れて、充実した日々を送ることができたんですね。
そうですね。競技から距離を取ることで、自分に高すぎる要求をしていたことに気づいて、同時にそれをやめたんです。大事な局面で、適切なアドバイスをくれる上司もいて。精神的にも競技的にも、今在籍しているローソンを信用しています。周囲の人に恵まれているのは本当に幸いなことです。
キーボードを叩きながらも「走っている」
―一度、きっぱりと陸上から離れてみたことで、精神的な余裕は生まれましたか?
数年間にわたって、自分の気持ちを整理するためのカウンセリングも継続して実施してきましたが、休むことで今まで以上に精度の高い自己分析を行えるようになりました。問題が起こった時は、物事への基本的思考を意識的に見直す期間になりました。
休んでいる間に実行したことは、 ①感情的であり自分の本心の部分 ②合理的で行動力がある、理詰めにする部分 の2パターンでしか構成されてこなかったところに、 ③「どっちでもいいよ」って言ってくれる人格 の3パターン目を構築したことです。
―顕在意識をコントロールしていく感じでしょうか。
そうですね。①と②という正反対の面をもつ自分に、今まで欠けていたのは③の楽観主義な自分。さらにもう一段階踏み込むと ④「そもそもそんなこと考えなくて良いよ」って言ってくれる人格 も自分のものにできるのかと思っています。
―ちょっと私もメモさせてもらいます、その方法。ちなみに、陸上競技に対する意識変化はありましたか?一度競技から離れた後の、精神的な距離感が気になるところです。
それが不思議なんですけど、例えば会社のデスクに座ってキーボードを叩きながら、「私いま、陸上をしている」とふと思ったんです。わたしは、陸上から離れたように見えても、陸上からそんなに離れているわけではなかったというか。今までの私は、走ることでお給料をいただくことに謙遜の気持ちがあったんです。でも、じゃあ働いてお給料をいただくのと、なにが違うのかと。
―つまり仕事と陸上に向き合う姿勢が、同じだったということですか?
そうですね。私は仕事に向き合うように、陸上にもきちんと向き合ってきた。キーボードを叩きながら、自分が陸上選手であることを再度、強く自覚したんです。そして、もしまたスタートラインに立つことがあれば、謙遜せずプロ意識を持って取り組もうと決意しました。もしかしたらこの時、私の心の中にまだ火の消えてない火種があることに、自分で気付いていたのかもしれません。
後編に続く
■プロフィール
石塚 晴子(いしづか はるこ)
1997年生まれ。400m、400mハードル選手。400mハードルの自己ベストは日本歴代7位であり、U-20日本記録の56秒75、400mの自己ベストは日本学生歴代3位の53秒22。2015年の北京世界選手権では日本代表。ローソン所属。